父が横浜で逝ったとき、我が家の墓は岡山にありました。どこの寺の檀家でもありませんでした。生前に逝ったら墓が欲しいか…と私が聞いたら、父は答えませんでしたが、その時のイヤーな顔つきから見て欲しいのだな…と私には感じました。
横浜の近所のお寺にお祈りをして頂きましたが、戒名をどうするか…で悩みました。代々の戒名が○○院○○居士(大姉)となっているのに、親の代から生前の名前にするのも格好が悪い。どの位の戒名料で同じレベルの戒名しして貰えるのかが判らない。住職に祖父母の戒名を見せ、葬儀屋に聞いてうん10万円を払って同レベルのものを頂きました。その時に葬儀屋に生前自分で戒名を付けてはいけないのか聞いたら、そんなことはありませんよ…とのこと。
その後色々調べましたが、自分で戒名を付けてはいけない…なんてどこにも出てこない。そもそも僧侶も戒名の付け方について教育を受けてもいなければ、マニュアルもないそうです。そもそも死後に戒名を付ける意義もハッキリしていない。
結構、自分で付ける人もいるようです。
作家の山田風太郎が自分でつけた戒名は風々院風々風々居士だとか。他にも著名文学者が人の為に作った戒名も幾つか掲載されている。
島田裕巳 著 「葬式はいらない」 幻冬舎新書
昨年亡くなった立川談志師匠は自分で「立川雲黒斎家元勝手居士」(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)なる戒名を付けていたそうですね。ちょっと位牌には書きづらいような…。
生前、同姓同名の人は沢山いるから、気に入った人の戒名を戴いても著作権侵害にはならないものと考えられます。
戒名を付けるか付けないか、これも遺族に任せよう。私は死して出家する訳でも仏門に入る訳でもない。戒名を付ける必然性はない。ましてや付けるためにウン10万円払うことに意味がない。寄進という形でお寺に差し上げた方がスッキリする。
戒名を付けるなら私の案は「研聚院(宏日)聴楽逍岳居士」もしくは「創智院(日宏)唱聴雪嶺居士」。長らく技術開発に従事し、雪山とコーラスや音楽が好きだった雰囲気が出ていないかしら。「宏日」はなくてもいいのですが父母の戒名には名前1字と「日」入っていたので入れました。日蓮宗での習慣か?
私の意向を聞いて家内が作ってくれたのは知究院山響日宏居士。
安価な料金で生前に戒名を付けましょう…との運動をしている日本生前戒名推進会のホームページでは、「戒名ソフトによる奇異な戒名や自作の無学・無責任な戒名は避けましょう」とあるので、戒名ソフトなるものもあるようですね。
我々の案は無学・無責任なものに当たるのかしら。しかし、無責任な戒名ってどんな戒名を云うのだろう。誰に対する責任なのだろう。
戒名ソフトって捜せば沢山ありますね。例えば
http://kaimyou.shikisokuzekuu.net/ サテ、お墓をどうするか。