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2013年09月06日(金) 
   ジブリのアニメを見てきました。

   入場が早くて時間が余ったので、リケダン(理系男)で何も知らない私にブケジョ(文系女)の家内が風立ちぬについて蘊蓄を披露してくれました。(皆の常識? 私が知らないだけ?)

   映画の内容は置いておいて、そちらの受け売りをやります。

 
   「風立ちぬ、いざ生きめやも」;この文くらいは私もしっていますが、これはポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の中のLe vent se leve, il faut tenter de vivreを堀辰雄が翻訳したものとされているそうです。

   「風立ちぬ、いざ生きめやも」は口語文に直すと「風が立ってしまった。さあ生きよう。でも生きようとするかなあ。しないだろうなあ。」となり、一方原詩の直訳は「生きることを試みなければならない」となり、両者は方向性が相違しています。そたがって堀辰雄の誤訳だ…とする人が多いそうです。

   ジブリのアニメ「風立ちぬ」でも「生きねばならぬ」とされています。

   調べてみると、2013年8月28日 (水)に更新されたのウイキペディアでは下記の如く上手に収めています。

   ヴァレリーの詩の直訳である「生きることを試みなければならない」という意志的なものと、その後に襲ってくる不安な状況を予覚したものが一体となっている。また、過去から吹いてきた風が今ここに到達し起きたという時間的・空間的広がりを表し、生きようとする覚悟と不安がうまれた瞬間をとらえている。


   映画? あまり印象に残りませんでしたね。ジブリ作品にしてはファンタジー性に乏しい。夢想はあちこちで出てくるのですが…。

   中に出て来た「会議は踊る」の「Das gibt's nur einmal」は幼い頃に映画を見た筈だし、父親がSPを持っていたので、なつかしく聴きました。昔唱っていたデートリッヒだった…と思っていましたが、違いましたね。パウル・ヘルビガーって私の記憶にはない…。SPの裏に入っていた曲もなつかしい。Das muss ein Suck vom Himmel sein だったのかしら。メロディは憶えていますが…。

 Das gibt's nur einmal,
 Das kommt nicht wieder,
 Das ist vielleicht nur Traumerei.
 Das kann das Leben nur einmal geben,
 Vielleicht ist's morgen schon vorbei.
 Das kann das Leben nur einmal geben,
 Denn jeder Fruhling hat nur einen Mai.

 ただ一度だけ
 もう二度と来ない
 ただの夢かもしれない。
 人生にただ一度
 明日にはもう消え去っているかも。
 人生にただ一度
 だって花の盛りはただ一度だけ。

(フランス語、ドイツ語でお茶っ人で表現できない文字があるので、近いものに変更してあります。)

閲覧数1,381 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2013/09/06 06:16
公開範囲外部公開
コメント(4)
時系列表示返信表示日付順
  • 2013/09/09 00:50
    スマカさん
    コッチさん

    「風立ちぬ」ってそんな意味があったんですね~~聖子ちゃんの唄でしか知りませんでした~。

    宮崎監督のラストの作品になってしまいましたね・・・なんだかさびしいですが・・。

    今までの作品を比べたら(ヒット作品5~6本ぐらいしか見ていませんが)あっさりとしていましたね。
    でも、そのすがすがしさが~ずっと爽やかに心に残り~もう一度見たいなぁ~と思っています。
    それと、色使いが、ステキで、ヒロインの服装の色の組み合わせとか、全体の風景とか・・・なんだか深く見てるようで、あまり深く見ていないような・・・(笑)宮崎おじいちゃん永遠にファンです~~☆☆☆
    次項有
  • 2013/09/09 08:16
    鉛筆コッチさん
    スマカさん

    お早うございます。

    「風立ちぬ」の意味は私もブケジョから教わったばかりです。

    色遣いね…。美しい自然に囲まれた高原の風景の中で、大きなパラソルの下で写生する少女(菜緒子)の画面はモネの「日傘をさす女」なのだそうです。


    宮崎作品は私も幾つかDVDで持っていてファンですが、特定の個人の伝記ってアニメにするのは難しいようですね。
    次項有
  • 2013/09/13 14:19
    MIYUさん
     コッチさん

     なかなか見に行けない。DVDは出るだろうしテレビでも必ず放映されると思うけど劇場でみたいですね。

     「生きめやも」の品詞分解と作者(訳者)の意図した意味について国文同士で亡き母と検討したのを懐かしく思い出しました。2005年のことです。誤訳なのかいや古文そのもののの間違いなのか。私の中ではスッキリ解決していないけれど「いざ」の勢いから見ると「生きようではないか」としなければ落ち着かない。

     紫の匂える妹を憎くあらば人妻故に我恋めやもの「めやも」とは違うのかも。

     
    次項有
  • 2013/09/13 23:25
    鉛筆コッチさん
    MIYUさん

       堀辰雄は「聖家族」との標題の昭和名作全集(「風立ちぬ」も中に入っている)の序の冒頭にヴァレリーの詩として

    「風がたった。……生きなければならぬ。大きな風が私の書物をひるがえし、浪を岩の上に千々に砕いた。私の膝の上のまぶしい頁よ、飛び去るがいい。そして浪よ、お前は活発な跳躍をして、船が鳩たちのやうに浮かんでいる静かな海面を擾(みだ)すがいい。」

      と口語訳を書いていますから、彼の詩の解釈は明瞭です。ただ原詩にも上記口語訳にも「いざ」の相当する語はありません。

      確かに「いざ」をどうするかが問題ですね。文語文にするときにヴァレリーと異なるものに意図的に変えたのかも…。
    次項有
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