私がこの世を去る時、特に何か一緒にやる予定がある人以外には連絡をしない方針です。大勢の人が葬儀に参加して頂くことの意義を感じないし、過去の例を見ていても遺族はお別れを惜しむよりは参列者への気遣いに気を取られていることが多く、合理的でない…と感じています。
国のために命を投げ出した人に二度と戦死者を出さない…と不戦の誓いを立てるのは結構ですが、他国のいやがる靖国神社詣をやらなくても家で誓ってりゃあいいじゃあないか…と私は考えますが、個人の葬儀でも同じように考えています。
ほとぼりが冷めたころに出す連絡文を検討中です。これをお茶っ人にアップできるかどうか判りませんが(エンディングノートにパスワードを書いておく必要がある)、その時にはこの文もどう変わっているでしょうね。
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ご無沙汰申し上げていますが、お変わりありませんでしょうか。
私は50日ほど前にお先に他界いたしました。この手紙は私が書き残したものを遺族の誰かが送ってくれています。
告別式前にご連絡申し上げなかったことに対して水くさい…とお思いかも知れませんが、葬儀なんてやる必要はないが、もしやっても参列者は10人以下にしろ…と家族には云ってあったためであり、お許しください。近くに住んでいる長女家族、長男家族がもし全員来たら、家内を入れて9人となり、満員です。北海道に住む次男家族には私がいなくなってから来て貰っても無意味だ…、来るなら費用はこちらで持つから生きている内に来い…と云ってありました。
皆様のなつかしいお顔くは拝見したいのですが、多くの皆さんは腰が痛い…とか、足が動かないとか、大変だし、無理して来て頂いても私にはお顔を認識できないばかりか、来て頂い事すら判らないので、無意味だと考えています。
私は多くの皆さんとの交流により有意義な一生を送らせて頂きました。共に学んだり、仕事をしたり、指導して頂いたり、一緒に歌ったり、山に登ったり、時には喧嘩をしたり、飲んだりしました。皆様のおかげで充実した一生を終えることが出来た…と感謝の気持ちで一杯です。
本当は皆様との過去の想い出を綴って懐かしみたいのですが、一人ずつそれをやっていると大変なことになりそうに思えるので、省略させて頂きます。
長らく有り難うございました。お元気にお暮らしください。
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