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2014年11月13日(木) 
   死後の世界の有無、それは死後の世界の定義によるだろう。

   自分と他、例えばなつかしい親や旨い食べ物、美しい景色…などを認識できる自分が存在する世界だ…と定義するなら死後の世界は存在しない…と私は考えます。なつかしい、旨い、美しい…と感じる五感や思考機能は肉体と共に滅びるからです。肉体から離れた私が閻魔大王に睨まれたり、極楽浄土にいってなつかしい親に会う…などの世界はあり得ない…と私は思っています。睨まれて怖い…とか、懐かしい…とかを感じる感覚器官を有していないからです。

   自分の命は宇宙が出来る前の、混沌とした雰囲気・前宇宙が存在していた時から延々と繋がっているのであって、この世においてこそ対象と自分という意識(自他の分別意識)を持てるが、死ねば生前から持っている、他と自己とを対比する感覚を持たない命がのこるだけの筈だ。自分の命と他人の命と全く一体である。動植物の命とも同様である。個別の自己が存在しない世界。それを死後の世界…と考えるなら死後の世界は存在する…と云ってもいいだろう。

   (もし、自分の死後も他と区別される自分の命が存在するとすれば…。 そこには人類が出現して以来の無限の数の死んでいった人の命が存在する筈だ。人間だけである筈もないから、イヌやネコ、恐竜、カエル、蚊や蠅、はてはウイルス?の命も存在する。まことに窮屈な世界になっていそうだ。殺した人間と彼に殺された人間、食べた動物と食べられた動物の命も共存する。コノヤローと腕力を振るうにも腕はなし、口論しようにも口はなし…。ストレスが溜まりそう。もし憎き相手を殺す手段が存在すれば、そこで死んだ命は次は何処に行く?)

   …と考えを決めれば何の不安も生じないだろう。罪を重ねたのであの世で罰を受ける…なんてあり得ないので恐れる必要はない。善行を重ねたから…と云って幸せな極楽の生活が味わえる…なんて期待しても無意味である。幸せ・喜び・悲しみ・苦痛…などを感じるシステムが存在しない。

   その状態に入ること怖いか? 怖がる根拠はなさそうである。夢を見ていない状態の睡眠と、意識としては何が異なるだろう。

   臨死体験なるものがある。私は脳の活動有無の判定に問題あるために、意識があるのに脳が活動していないとの誤判定のされいるだけだと思っているが、その時の意識は不快なものではなさそうなことは私を安心させてくれる。

……………

自分の死を考える①
http://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…=&l=30

自分の死を考える ②間際の肉体的苦痛 
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自分の死を考える ③遺族への諸情報伝達不足への不安
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閲覧数1,165 カテゴリ日記 コメント8 投稿日時2014/11/13 08:59
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コメント(8)
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  • 2014/11/13 09:31
    MIYUさん
     この件に関しましては(笑)

     死んだことのない人たちがあれこれ言っても(死人には口なし)
    何の説得力もないと思うので全力参戦するのは…と思っていますが

     今は亡き母が「襖をすらりと開けたら懐かしい人がずらりと並んでいて『あら皆さんここにいらしたんですか』というイメージ」と言っていたのが妙に心に残っています。

     死後の世界を恐れる Pさま(私の隠語)
     死後の世界に幸せなイメージを持てる Oさま(私の隠語)

     私はPでもOでもない強いて言えば(コッチさんみたいに理論的な人ではないけど結果として)コッチさんのイメージに近いような。

     ただ臨死と呼ばれる状態がどうも幸福感に満ちたものであるらしい(多数の談話)ことはなんか安心です。
    次項有
  • 2014/11/13 11:09
    NOSSYさん
    年齢的にコッチさんと変わらないと思いますが、自分の「最期」を真剣に考えたことはありません。
    ただ意識のないまま裸で生まれてきたように、死ぬ時も心身ともに裸で意識がなくなるものだと思っています。それ以上でも以下でもないという気持ちです。

    中央公論9月号で「終活・人生の店じまい」について特集が組まれています。
    その中で「理想の最期」をテーマに70~80代の著名人が考えを述べており参考になります。
    結論から言うといろいろな考え方があり、それぞれの生き様と現在の状況を踏まえたものとなっています。

    次項有
  • 2014/11/13 22:42
    鉛筆コッチさん
    MIYUさん

     >「襖をすらりと開けたら懐かしい人がずらりと並んでいて『あら皆さんここにいらしたんですか』というイメージ」

       似たような話はよく聞きますね。ただ、いわゆる臨死体験では出てこないようです。明瞭に生きている時の意識ですね。

       死人は経験談を語ってくれないので、自分であれこれ推測するしかありません。別に推測する必要がある訳ではありませんがね。

    .
    次項有
  • 2014/11/13 22:52
    鉛筆コッチさん
    NOSSYさん

     別に考える必要はないと思います。

     ただ、人生に一度だけ必ず訪れ、やり直すことのできない死について、その時になって慌てることにないようにはして置きたい…と私は思っています。

     理想的な死に方はあっても、そのように事が進む訳でもないでしょうしね。

    .
    次項有
  • 2014/11/14 11:46
    コッチさんに教えてもらい、昨日再放送のビデオを見ました。独りの重度障害の私が楽しく暮らせるのは父母の霊に守られていると実感しています。若い時は悩みましたが・・・・
    次項有
  • 2014/11/14 15:53
    鉛筆コッチさん
    こはたノたかしさん

    私は途中で寝てしまい、中程は見ませんでした。結局は逝く前の夢のようなもの…との推測だったようですね。

    人はそれぞれに幸せを感じられるように人生観を形成します。

    こはたノたかしさんもご両親の愛を感じられて暮らしていらっしゃる…とは結構なことですね。

    私は要支援1(夏までは要支援2でした)ですが、家内による支援で楽しく暮らしています。

    こはたノたかしさんの美術に対する関心の深さにはいつも敬服しています。

    .
    次項有
  • 2014/11/17 22:46
    ヒッチさん
    死す時は、良く生きたと、悠々と一人息を引き取りたい。

    だから死すまで良く生きたいです。

    後はお任せ、私の領域ではない、為るようにどうにでも・・・・・。

    死後の不安は、有るのが当然だと思います。
    次項有
  • 2014/11/17 23:39
    鉛筆コッチさん
    kata0133さん

    そうですね。良く生きることは悠々と息を引き取ることの必須要件でしょうね。

    ただそれ以外にも、きっちり後始末が出来ていることも必要だろうと思っています。

    .
    次項有
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