し残したことがあって逝く時になってシマッタ!と思うことがあるかどうか。それは生前の自分の計画性如何だろう。し残した仕事もないし、遺族のためのエンディングノートなども完成しており、遺族の生活手段も確保されている…ならもう問題はない筈だ。しかし、まだ旅したい所も沢山残っているし、経験したいことが色々あったのだが…と云うのは計画性の問題だ。しかし、それで悔やむことはあり得る。 ○○歳までにこれをやろう…と考えていたことを全部やり尽くしてしまったら、することがない人生が残ってしまうのも悲しい。次々にやりたいことが出てくるのならいいが…。 振り返って自分の生涯を悔やんで落ち込む様なら、自分は運命に縛られており、自由はないのだ…、責任はないのだ…と思いましょう。 「物理世界で起きることは物理法則に支配される。私達も物理世界の一部なのだからその行動はもちろんのこと自意識さえも物理法則のもとにあるわけだ」 (マイケル・S・ザガニ 「わたしはどこにあるのか」の”はじめに”より」 物理法則では全てのある瞬間の状態とその変化には完全な因果関係が存在する。現在は過去の状態に完全に支配されているのです。私が今こうやって文を作成していることも遠い昔の宇宙の状態から決まってきているのです。自分に自由があるのかないのか…を考えていることも遠い過去から決まっている…ということです。分子、原子、電子、素粒子、電磁波…その他から現在を予測する能力に欠けているために、運命を信じないで、自分の意思に従って行動している…と勘違いしているのに過ぎないのです。 自分には意思決定権もないのだ…、私は決まった運命の元に生きてきただけ…と、悟ることにしましょう。 …………………… 自分の死を考える ④ 死後の世界への不安 http://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…=&l=30 . |