コッチさん、
読ませてもらっているうちに少しずつ記憶が戻って来ました(笑)
「父さんシナ人で一銭五厘の靴履いて、便所の掃除も臭かろう」は、
「父さんシナ人で一銭五厘の月給で、便所の掃除も臭かろう」とはやしてました。
シナ人がいたわけでなく、弱そうな仲間に言ってました。
こどもの頃、「ヤーイヤイ デッカンショ」とよく人を囃した記憶があります。国民学校(小学校)に上がらないか上がるか…の頃。どのような時にどういう意味で使ったのかはもう覚えていませんが…。 先日、デカンショとはデカルト、カント、ショーペンハウエルのこと…と書かれた文に遭遇しました。(何の本だったかもう記憶にないが)。 家内にそのことを云ったらさすがは文系、ご存じでした。更に、後に「お前の母さん出べそ」と続いたわね…と。 ン? そういえば私も云った記憶がある。「ヤーイヤーイ デッカンショ」に続いていたのだっけ。 そこで調査調査…。 丹波の篠山にデカンショ節なるものが盆踊りで歌われているが、明確な起源は不明だそうです。 ………………… 丹波篠山山家の猿が (アヨイヨイ) 花のお江戸で芝居する (ヨーオイヨーオイデッカンショ) 酒は飲め飲め茶釜でわかせ (アヨイヨイ) お神酒あがらぬ神はない (ヨーオイヨーオイデッカンショ) 霧の海から丹波の富士が (アヨイヨイ) ぼかし絵の様に浮び出る (ヨーオイヨーオイデッカンショ) 灘のお酒はどなたが造る (アヨイヨイ) おらが自慢の丹波杜氏 (ヨーオイヨーオイデッカンショ) 雪はちらちら丹波の宿に (アヨイヨイ) 猪がとびこむ牡丹鍋 (ヨーオイヨーオイデッカンショ) デカンショデカンショで半年暮らす (アヨイヨイ) あとの半年ねて暮らす (ヨーオイヨーオイデッカンショ) 以下略 …………… 節回しは下記にあります。 https://www.city.sasayama.hyogo.jp/dekansho/06_dekansho.mp3 篠山のデカンショは「出稼ぎしょ」のようにも思えるが、「デコンショ」、「ドッコイショ」、「デゴザンショ」などの解釈があるようだ。 一方、旧制高校の学生達が街を闊歩しながら歌ったのがたのがデカルト、カント、ショーペンハウエルのデカンショ。 ………………… デカンショデカンショで半年暮らす(ヨイヨイ) あとの半年や寝て暮らす(ヨーイヨーイ デカンショ 以下同じ) 一部頭を叩いてみれば 権利権利の音がする 二部の頭を叩いてみれば サインコサインの音がする 三部頭に雀がとまる とまる筈だよ薮じゃもの 勉強するやつ頭が悪い 勉強せぬやつなお悪い 吾等仲間の大禁物は 卑怯未練とハイカラー 教授教授と威張るな教授 教授学生のなれの果て ほんにドイッチェは夫婦の喧嘩 ダスのデルのと大騒ぎ 井戸の蛙と笑わば笑え 花も散り来る月もさす 勉強する気で故郷を出たが ストーム、コンパで日が暮れる ストーム厭だと寝ている奴は、蚤にくわれて死ぬがよい 天下取るまで大事なからだ 蚤にくわせてなるものか 郷里へ無心の仮病の手紙 金がこないで親父来る 親父本当に可愛ゆてならぬ 俺に本気で意見する 意見聞くとき頭が下がる 意見頭が上通る 論語孟子を読んでは見たが 酒を呑むなと書いてない どうせやるならでかいことなされ 親父質において酒を呑め 酒は呑め飲め茶釜でわかせ 御神酒あがらぬ神は無い デカンショデカンショで死ぬまで踊る 俺が死んだら子が踊る どうせ死ぬなら桜の下よ 死ねば屍に花が散る ………………… 旧制高校生は同年配の1%しかおらず、ほとんどの人が大学に入学できる特権階級であった。受験勉強などは不要であった。そこでデカルト、サント、ショーペンハウエルを読み、破れた学生服、白線帽・白い鼻緒の高ゲタ・黒マント・腰には手拭…という格好でデカンショ節を歌いながら街を闊歩していた。 ナルホド。 (私も中学校の頃は白くて太い鼻緒の高下駄を履き、腰に手ぬぐいをつけて通っていましたがね。) 他にも「デカンショ」は「デコンショ」という盆踊り歌からきたという説、あるいは「ドッコイショ」の転訛、「出かせぎしょ」「デゴザンショ」などの説もある。 家内の云う出臍の母ちゃんはデッカンショの後ではなく、「アホバカまぬけ ひょっとこ南京カボチャ お前の母ちゃんでべそ」だったようだ。これは私の記憶に一致。後に「車に轢かれてペッチャンコ」と続くのもあったようだ。 他にも記憶のある囃子詞 アホバカちんどん屋 父さんシナ人で一銭五厘の靴履いて、便所の掃除も臭かろう 友人に外国人はいなかったので、日本人を囃した筈です。差別用語が 入っていますね。 「ゆうーたろ、ゆうーたろ、せーんせにゆうーたろ」 今でも囃子詞ってものがあるのですかねえ。 . |