続相棒を観て 先ほど投稿した、去る15日に放映された、相棒を観て、の続きです。 ぼくも、副音声での解説もonにして、視聴しました。 とあるメーリングリスト(障害学や障害者運動関連のものではありません。)への投稿によると、視覚障害者を演じるにあたっては、当事者のお宅を訪問してアドバイスなどを受けたり、生活の様子を見たりして、制作されたとのことでした。(mlへの投稿は、制作のお手伝いをしたという、視覚に障害を持つ女性ご自身からのものでした。) そんなこともあってか、ぼく自身もテレビドラマの作品としては、丁寧に作られているのかなあとの印象でしたし、ストーリーに関しても、相棒という人気ドラマの1作としては、こんなものなのかなあとも感じました。 けれどもやはり、障害を「克服」して、人に迷惑をかけないように、いろんな面で頑張っているという、従来からの障害者像に留まらず、それに加えて、他の登場人物との会話・彼女のセリフの端々から垣間見える、いろんな面で拗けたというか、素直ではないというか、屈折したというのか、そんな人間像には、正直暗澹たる気持ちにさせられたのは確かです。 多くの番組視聴者は、ドラマの中のこの女性のことばや表情から、「きっと彼女は、目が見えなくなってから、思いもよらないような辛いことやたいへんなことや、人を信じられなくなるようなことを、たくさん経験して、他の人の気持ちや思いを、素直に受け止めたり理解したりすることが、できなくなってしまったのかもしれないなあ。」などと想像したりしつつ、作品の中の彼女の姿に、現実に今この社会の中で生きている、障害を持つ市民の姿を重ね合わせたりしてしまうのかもしれません。 こうしたいわゆる「頑張る障害者像」や、「障害を克服・軽減するために、いろんな努力をしなければならない。」等々の思考や発想は、障害を持つ当事者の中にも、ぼくらが思う以上に、まだまだ根強く存在しているんでしょうね。 先が思いやられるというか、思わずため息が出てしまいますが、しつこく、こうしてぶつぶつとつぶやいていかざるを得ないのかもしれませんね。 |