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2017年03月07日(火) 

 



>・・・、英仏蘭独等による植民地支配から東亜地区の開放のために日本が立ち上がり、国中を廃墟にしながらもついに植民地支配から脱皮させることに成功したと書けば、日本神軍説になり、日本一国の行動によって500年続いた先祖伝来の植民地利権をすべて失わされたと書けば、日本は悪の枢軸国ということになります。

 

そうですね。意見は様々ですね。

 

>このような歴史を単純な善玉悪玉で論じることは、自分たちに都合のよいように事実を巧妙につなぎ合わせようとしているだけであって、これは歴史ではなく、政治です。

 

そうですね。政治は政治家の指導性・方向性を示していますね。

>歴史と政治は異なるものです。

 

そうですね。同感です。歴史哲学と政治哲学は違いますね。

 

>そして善悪二元論は、政治です。

 

そうですね。光と影 (善と悪) の発想法ですね。政治家は善を追求しますね。

 

>なぜなら歴史には、善も悪も両方あるからです。その善悪を超えて因果関係を合理的に明らかにしたものが歴史です。

同感です。すべて物事には、良い面と悪い面がありますからね。

 

>ひとつの時代には、様々な人の思惑や行動があって、それらの集大成として時代が進んで行きます。(中略)>それらを総合して、物事の因果関係を明らかにし、誰がみても、「だからこういう事態になったのだな」と後世の人が納得ができるように合理的に記述することが歴史です。(中略)

 

合理は必要ですね。矛盾は取り除かなくてはなりません。誰が見てもではなくて、自分が見るとではありませんか。個人の意見は、人・人により違うでしょう。内容に対する人気・不人気というものは、常に周囲の人にあるでしょうがね。矛盾が無ければ、それは一つの意見でしょう。

>ところが昨今の歴史の教科書は、日本史も世界史も、歴史上の事件や人物の名前がただズラズラと列記してあるだけです。

 

そうですね。暗記ものですね。暗記によるテストで日本人の序列を決めております。我が国は序列国家ですね。

 

>日本史であれば、天平文化における代表的美術品名が大事なのではなくて、そうした文化がなぜ起こったのか、そしてどのように変化していったのかについての合理的な説明こそが必要なのです。

 

矛盾を含まない考えの内容は、すべて正しいですね。個人意見は一つではない。人の数だけある。いや、それ以上のこともあり、それ以下のこともある。異口同音である必要も無いでしょう。

 

>あるいは頼朝が鎌倉に幕府を開いたことについては、1192年に征夷大将軍に任ぜられたということ以上に、なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたかについての合理的な説明こそが求められることなのです。(中略)

 

そうですね。矛盾を含まない内容は、すべて正しい考えですね。

 

>(日本人に)欠けているとするならば、物事を合理的に因果関係のもとに整理するという習慣です。あたりまえです。学生時代から、そのような教育がまったく施されていないからです。(中略)

 

同感です。我々日本人には、理性の教育が必要ですね。考えの中から、矛盾を排除する練習が欠かせません。

 

>まとめると、年号や事件、あるいは人物を記しただけのものは、歴史ではなく、それはただの年表であり、人物履歴でしかありません。>それぞれの事件や事故を、通史のなかで因果関係を合理的に明らかにしたものが歴史です。>その意味において、現在の学校教育において、歴史が教えられていないのは、たいへん残念なことです。

 

そうですね。同感です。我々日本人の一人ひとりが ‘考える人’ になる必要があります。

 

 

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閲覧数448 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/03/07 09:03
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