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2017年04月09日(日) 

 

>官僚の世界における“忖度”について「確かに言えること」

>投稿日: 2017年3月26日 投稿者: nobuogohara [郷原信郎]

>森友学園の土地取得をめぐる問題に関して、「忖度」(そんたく)という言葉が話題になっているが、この言葉は、典型的な官僚世界の用語であり、日本の官公庁や官僚的体質の企業等に所属したことがない人にはなかなか理解することが難しいようだ。

 

そうでしょうね。処世術として開発された官僚の常套手段でしょう。

 

>外国特派員協会での籠池氏の講演の際に、この言葉がなかなか理解されなかったのも無理はない。

 

外国語に対応していない日本語ではありませんか。

 

>過去に、23年間、検察という官僚組織に所属した経験に基づいて、私なりの理解で、この「忖度」という言葉について、「確かに言えること」を書いておこう。

 

よろしくお願いいたします。

 

>①「忖度」は、される方(上位者)にはわからない。

>「忖度」というのは、上位者の意向を、本人に確認することなく、もちろん、指示・命令を受けることもなく、推察して、その上位者の意向に沿うように行動することである。

 

下位者による上位者の恣意 (私意・我がまま・身勝手) の内容を推察することですね。非理性・理不尽ですね。

 

>他人にはわからないように行うところに本質がある。

 

以心伝心・不立文字の様なものですかね。本質の存在は、文章・言説になりませんね。他人には分からない。言語のない世界ですね。

 

>少なくとも、間違いなく言えることは、「忖度」は、される側にはわからないし、わかるようなものであれば「忖度」とは言わない。

 

テレパシーの様なものかな。泣きじゃくる赤子の側には分からない。

 

>直接確認し、指示・命令を受けるのであれば、「忖度」をする必要はない。

 

言語になれば問題がない。意思の内容を表明すれば、責任者となります。責任観念の無いところで忖度は働くようです。

 

>「直接、意向を確認しにくい関係・内容」、「確認して指示を仰ぐことに差し障りがある事柄」であるからこそ「忖度」が行われる。

 

日本人には意思が無い。だが、恣意 (私意・我儘・身勝手) はある。恣意は文章にならないが、小言・片言・独り言になる。文章でないものには意味が無い。矛盾も指摘できない。忖度 (推察) は勝手な解釈です。

意思は未来時制の文章内容であるが、日本語には時制というものがない。だから、日本人には意思が無い。日本人は、優柔不断・意志薄弱に見える。恣意で動くアニマルに似たところがありますね。

 

>森友学園の件では、財務省理財局、近畿財務局、大阪府等の職員の「忖度」が問題にされているが、彼らは、まず直接的には、それぞれの組織のトップないし幹部の意向を「忖度」するわけだが、さらに、そのトップないし幹部の意向が、「『安倍首相の意向』に沿う意向」であろうと「忖度」しているのではないかが問題になっているのである。つまり、「忖度」が何重にも積み重なっている。

 

意思による命令系統ではないので、何重にも積み重なるのでしょう。

 

>②「忖度」は、行う本人も意識していない場合が多い。

 

文章内容になれば意識できます。文章内容にならなければ、夢・幻のごとくになって風化します。

 

>「忖度」というのは、終身雇用制、年功序列制のピラミッド型官僚組織の中で、役人が生き残り、昇進していくために、わきまえておかなければならない「習性」のようなものであり、有能な官僚であればあるほど、意識しないで、自然に上位者の意向を「忖度」することになる。

 

序列社会の処世術でね。ポチの習性ですね。子供が親の顔色を窺うようなものでしょう

 

>私の場合、もともと、理系出身で法学部も出ておらず、検察の世界にたまたま引きずり込まれただけの全くの異端者だった(郷原信郎著【検察の正義】ちくま新書)。

>それだけに、組織内で行われている「忖度」には、かなりの違和感があり、それを自分なりにリアルに感じとることができた。

 

貴方は鋭い感覚の持ち主ですね。ここで経験がものを言いますね。

 

>そのような世界に抵抗なくなじんだ組織人は、意識することなく、まさに呼吸をするような自然さで「忖度」をしている。

 

ああ、それで思い出しました。’息をするように噓を吐く’ という言い方がありましたね。慣れの問題ですかね。

 

>だから、「忖度」をした人に「忖度をしたでしょう?」と聞いても、それを肯定する人はあまりいないのではないだろうか。

 

日本人には加害者意識が無いのですね。非言語の活動をしているからでしょう。

 

>③「忖度」で違法・不当な行為は行われない

 

意思があれば、加害者意識も存在します。意思が無ければ、無心です。

 

>「忖度」は、官僚が、その「裁量の範囲」で、上位者の意向に最も沿う対応をするものである。

 

忖度 (そんたく:推察) とは、あまり聞きなれない言葉ですね。官僚特有の処世術により、重宝する言葉になったのでしょう。

 

>裁量を逸脱する違法・不当な行為は、後々、それが指摘されれば、処分等のリスクにつながるため、意図的には行わない。

 

法律は、明文化されていますからね。決着が早いです。

 

>「忖度」は、上位者に報告や指示・命令を仰ぐことなく行うのであるから、違法・不当な行為のリスクは、すべて下位者が負うことになるからだ。

 

勝手な解釈ですから、危ない作戦ですね。

 

>「忖度」で行う範囲は、裁量権の及ぶ範囲内で、最も上位者の意向に近いもの、ということになる。

>「忖度」したかどうか、というのは、その状況と、行われた行為が裁量の範囲の中で、最も上位者の意向に近いかどうか、という客観的状況から、推認を働かせるほかないのである。

 

不適切でも違法性のない行為は、上位者にも見受けられますからね。無哲学・能天気では、自分の品性など構っていられないのでしょう。無教養の結果ですね。

 

>④ 官僚は「忖度」で評価される。

 

官僚は上位者の自己利益に対する利用度で評価されるのですね。品性の問題ではありませんね。

 

>官僚の世界で、上位者から評価されるのは、違法・不当ではない「裁量」の範囲での方針決定について、上位者に方針を確認したり、判断を仰いだりせず、その意向を「忖度」して動ける人間である。

 

上位者に意思が無いから、下位者は自分勝手な解釈をするのですね。

 

>上位者にとっては、そういう人物こそ、上位者の意向・方針を、上位者の手を煩わせることなく実行してくれるので、大変好都合なのである。

 

良きに計らえか。不適切で役に立つ人間が増えますね。

 

>しかも、それは、今回のように、「忖度」によって行った対応が問題にされた時には、実際に問題に関わっていないので、上位者にとって、リスクを最小化できるという面でもメリットがある。

 

そうですね。意思が無ければ責任もない。意思を示さなければ当事者にもならない。

 

>そういう意味で、官僚の世界では、「忖度」の「習性」を身に着け、それを確実に行える人物が、「能力の高い官僚」と評価され、いちいち上位者の意向を確認しなければ対応できない人間は「無能」と評価されるのである。

 

官僚の有能・無能は、かような処世術で決まりますね。不適切でも違法性のない官僚が増えてゆきますね。相変わらず、非言語で不透明な活動が幅を利かせますね。

 

>以上のような「忖度」についての基本的な理解を前提とすれば、国会で「忖度した事実がない」と答弁している安倍首相は、官僚の世界における「忖度」の意味を理解しているとは思えない。

 

そうですね。そういうことになりますね。

 

>一方で、野党側が、参考人招致や証人喚問等で「忖度」の事実を明らかにしようとしているのも、あまり意味があることとは思えない。

 

非言語の世界を言語で突き止めるのは難しいですね。

 

>「忖度」というのは、組織内に、「磁場」のように存在し、物事を一定の方向に向かわせていく力であり、それは、官僚にとって特別のことではなく、しかも、違法・不当なものではなく、裁量の範囲内でやっているだけであるから、「忖度したか」とか、「それが、具体的にどの程度影響したか」ということ突き詰めようとしても、その解明はほとんど無理である。

 

‘不適切でも、違法・不当ではない’ という確信ですね。最低の水準に到達しようと争うのですね。

 

>むしろ、その「磁場」の存在の背景となっている、権力構造そのものの問題を考えていくしかない。

 

序列社会の権力構造ですね。脇道にそれる事のできない立身出世の一筋の道ですか。

 

>現状で言えば、官僚の世界が、終身雇用制、年功序列制が維持されるピラミッド型組織で、内閣人事局に各省庁の幹部人事権が握られ、それを動かす政治の世界が、国会は与党が圧倒的多数、その与党の党内も、小選挙区制のために、公認候補の決定権を持つ党幹部に権力が集中しているという状況は、まさに、最も「忖度」が働きやすい構図であることは間違いない。

 

同感です。意思には理解が対応します。恣意には忖度が対応するのでしょうか。腹芸・談合に満ちた、言葉のない不透明な世界から抜け出しましょう。

 

>むしろ、重要なことは、今回の問題がまさにそうであるように、行政の透明性を高め、その手続が問題になった時に、「忖度」が働いたかもしれないプロセス自体を公開することである。

 

日本人には、意思が無いので、意向を明文化できない。だから、行政の透明性が高められない。

‘不適当であるが、違法性が無い’ というのが、恣意 (私意・我がまま・身勝手) の働きによるものでしょうね。これを問題にする必要がありますね。不適切な人間を行政から追い出しましょう。

 

>森友学園の土地売却をめぐる問題がここまで深刻化した原因は、国有地売却の経過や交渉についての文書・記録が「廃棄された」と説明され、「忖度」の実態が覆い隠されているように見えることなのである。

 

同感です。文章・言説を大切にする習慣を身につけないといけませんね。

 

 

 

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閲覧数513 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/04/09 02:29
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