スカーレットさんの勉強ぶりに感嘆!
勉強させて貰っていますよ。 感謝!
京都は、非常にミステリアスな街だといわれています。それは なぜなのか いろいろと 調べてみると 桓武天皇に行き着きました。彼には いわゆる天皇継承問題で 様々な疑惑があったようです。特に自分の次の天皇に決まっていた弟の早良(さわら)親王が、藤原種継暗殺の濡れ衣を着せられ憤死した事件は、彼のその後に 大きな影を落とします。 早良親王の怨霊が祟ったのか平城京から遷都した長岡京では、3年のうちに4人の妻と母親の5人が亡くなり 息子も病気になります。これは、早良親王の祟りだと恐れた桓武天皇は、長岡京を10年で捨て 徹底的に魔界封じができる都造りを目指し、京都に遷都します。それが、平安京です。“こころの平安”が得られる都をめざしたのです。 京都は、“四神相応の地“と、いわれ永遠に栄える条件を備えていたのです。 北・船岡山(玄武) 東・鴨川(青龍) 南・巨椋池(朱雀) 西・大路(白虎) でも これだけでは 不安に思った桓武天皇は、二重三重に怨霊封じの対策を行います。 ① 都の東西南北の巨石のしたに一切経の経文を埋め込む。 ② スサノウノミコトを祭神とする大将軍神社を都の東西南北に建てる。“怨霊には、荒神を” (目には目を) ③ 表鬼門と裏鬼門そして 都の南北に たくさんの寺社を建て、鬼門封じバリアを確かなものにします。 このように 究極の魔界封じを施し、京は、千年の都として栄えることになりました。 それは、桓武天皇の恐怖心のおかげ(?)と言っても いいのかもしれません。ちょっと 複雑な気分になりました。 |