2017年08月08日(火) 

 

>戦後を代表する政治学者、丸山真男の論理と精神は、東大を始め日本でもっとも有力な知識人とマスメディアに受け継がれているはずです。

 

日本語を掘り下げて考察しなければ、丸山の理論と精神は、知識人とマスメディアに受け継がれることはないでしょうね。

 

>現代の日本に関係の深い彼の思想は、次のようにまとめられるでしょう。

 

日本語を話す日本人は、今も昔も変わらないでしょうね。

 

> 1)誰も戦争をするつもりがなく、大東亜戦争に突入したのは、論理で社会が動かずに空気で動くからだ。誰が主張し、誰が言っているのかわからないような空気を支持するな、

 

そうですね。日本人には空気の研究が必要ですね。個人主義が無いのだから、誰が主張し、誰が言っているのかわからないのも当然ですね。個人主義は利己主義と誤解されることも多いです。何やら雲行きが怪しくなって、それから大東亜戦争に突入したのでしょうね。

我が国には、政治家がいない。責任を持って民を指導する人物がいない。日本人には理論が無い。日本人には理論を受け入れる余地もない。だから、指導者には説得力が無い。民は烏合の衆にとどまります。

曖昧な言語である日本語で情報交換をして、お互いに忖度 (推察) に基づいて行動する。忖度は聞き手の勝手な解釈であるから、その内容に話者の責任はない。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。とかく、この世は無責任。

 

> 2)考えの違う他者を許さず、日本だけが特殊で一歩外国に行くと全く通用しない事実や論理を崩さない日本社会の欠陥は修正されなければならない、

 

日本社会の欠陥は、日本語脳の欠陥でしょうね。考え (非現実) の内容は、一人ひとり違っていますが、それにも関わらず、暗記力ばかりを鍛えていては、自己の正解から離れることはできませんね。相手を抹殺するしかないと考えるのですね。単純で情けない人間ですね。その原因は、日本人には現実があって、非現実 (考えの内容) が無いからです。現実は一つですが、非現実は多数あります。だから英米人は個人の違いを議論出来ます。現実の内容は、頭の外にあります。非現実の内容は頭の中に存在します。両者は所在が違いますから、内容は同じになりません。

非現実の内容を文章にするには、文法に時制 (tense) というものが必要です。が、時制は英語にあって、日本語にはありません。ですから、日本人には非現実が無くて、皆がみながら現実肯定主義者になります。自分の考え (非現実) を述べるものには、’そんなこと (非現実) 言っても駄目だぞ、現実はそうなってはいない’ と言って対抗する。彼は、唯一の正解 (現実) を求めているようです。これは、師から教えを乞う昔からの形式なのでしょうね。

英米人は、自分の理論 (非現実) に合う事実 (現実) を選んで話に取り込んでいますからね。話 (非現実) に矛盾が含まれていなければ、それは話として通用します。矛盾さえなければ、話の数はいくらあっても、それらはすべて ‘正しい考え’ であります。相手に否定できるはずもありません。その規則を守るのが個人主義です。話の内容に個人的な好き嫌いはあっても、それは趣味の問題ですから、議論はしません。趣味は論拠になりませんからね。(There is no accounting for tastes).

 

> 3)民主主義が機能するのは、個人が自立し、尊厳を守り、本質的に矛盾する関係にある権力に対して自立することだ、

 

その通りですね。権威主義という非理性に抵抗することは大切ですね。個人主義が理解されない社会であるから、個人が自立することはできませんね。上の ‘もの’ と下の ‘もの’ が存在して、価値が序列の方についているので、 ‘人’ 自体の本質的な価値が無い。だから、我が国には、個人の尊厳もない。

 

日本語の特質を強調するだけでなく、英語の考え方にも習熟しましょう。雄弁になろう。彼を知り己を知れば、百戦危からず。

 

 

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閲覧数66 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/08/08 09:28
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