2017年08月21日(月) 

 

 

>昭和45年7月7日、サンケイ新聞(当時)夕刊に、ある記事が掲載された。

 

>「果たし得ていない約束-私の中の二十五年」と題されたその記事は、異様なまでの焦燥感にみたされていた-「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」。

 

そうでしょうね。経済大国は処世術に長けている場合が多いですからね。伝統的な日本人は序列的で、天皇は純粋 (非処世術の見本) ですからね。三島の理想ですね。

 

>世間は、3月にはじまった大阪万博に酔いしれていた。>岡本太郎の「太陽の塔」が、高度経済成長の象徴のように君臨していた。>人々が空気のように豊かさをむさぼり吸っている傍らで、三島由紀夫はひとり立ち尽くし、口を覆っていたのである。

 

絶望的ですね。三島の内容は、真っ赤なウソになる。現実は、見ればわかる。話にうつつ (現) を抜かしてはならない。’キチガイはどこにもおるもんだよ’ という結果になるのか。気が狂ったとしか思えない。

 

>もし日本人の日本人らしさが「豊かさ」にあるとしよう。ではそれを失ったらどうなるのか? 

 

組織的な活力が失われた人間ということになるでしょう。たとえば、外国に移民した日本人のように。

 

>他国がより安い製品を作れば失われてしまう、そんな場当たり的な価値観を「日本人らしさ」の基準にしていいのか。

 

‘、、、らしさ’ は、趣味の問題ですからね。内容がどんなであれ、議論のための論拠にはなりませんね。(There is no accounting for tastes).

 

>確かに学生たちは繊細だった。昭和43年の学生運動、「全共闘運動」と呼ばれる大学生たちの反乱には、戦後=民主主義への違和感があったからだ。

 

無哲学・能天気の民の民主主義は衆愚政治になります。不満足な民主主義ですね。

 

>耳に心地のよい正義感、正論を吐いている学者たちは何をしているのか。

 

無哲学・能天気の学者では、無為無策ですね。

 

>しかも日本は経済的な快楽に溺れ、アメリカの言いなりになっている。

 

経済的に潤うだけでも民は幸いですね。自分自身に考えが無いのだから、アメリカのポチに成るより外に仕方がないでしょう。

 

>正論の裏にある、時代の空虚と偽善、その閉塞(へいそく)感を破壊せよ。

 

現実ばかりで哲学無しでは、閉塞感にさいなまれますね。正論は方便になります。空虚と偽善は、処世術にはつきものです。

 

>そのためには民主主義にすら、一度は「否」をつきつけよ-学生もまた三島同様、焦燥を募らせていた。

 

夢に破れて、焦燥感をつのらせることになりましたね。

 

>だが、と三島は思った。>私は万博に酔いしれる人々はもちろん、彼ら大学生たちとも違う。

 

そうですね。彼らは序列メンタリティで動いているのではないからですね。貴方とは違いますね。

 

>学生たちは私三島を誤解しているし、半分までしか理解しあえない。

 

お互いに、無哲学・能天気ですからね。大同が無く、大同団結をしない。小異の不満を募らせている。

 

>なぜなら自民党がつくりあげた戦後社会を、私三島は呪っているからだ。

 

戦後社会は無哲学・能天気で、処世術万能の社会ですからね。不適当でも違法とまでは言えない社会です。

 

>「からっぽ」な社会を否定する気分は、学生と同じだ。

 

そうですね。無哲学・能天気な ‘からっぽ’ な社会に、序列メンタリティの気合を入れることが必要ですかね。

 

>では何がちがうか、それは私は日本の文化を守るために戦後を否定しているのであって、学生のように破壊と否定、革命だけを夢想していないからだ。

 

学生のように今までにないものを作り上げるのではなくて、あなたは昔からあるものを立派に育てたいということですね。

 

>私には明確な目標がある、否、正確に言えばまだ果たしていない「約束」がある。それは戦前の若者が、なぜ死なねばならなかったのか、何のために命を投げ出したのかに答える、という約束である。

 

戦前の若者は、天皇を基軸とした世の中を樹立するために命を落としたと信じ、あなたも彼らの努力を継続したいと考えているのですね。

 

>だから私の人生は、つねに死を飼って生きてきた。最初は戦争で、2度目は多くの友人が死に、そして3度目は戦後を生き延びた「老い」の感覚によって。

 

決死の覚悟の様ですね。

 

>そして三島は思った、文化を担う「天皇」だけが、この約束を果たす存在であると。

 

我が国の序列制度の中心は天皇以外に考えられませんね。三島には世界観が無いから、天皇序列は世界の果てにまでは届きませんね。

 

>戦後のふやけきった日本を停止し、文化の咲き誇る「日本」を取り戻すには、天皇こそ必要なのだ。

 

ふやけきった社会は、処世術万能の世の中のことですね。三島が目指すは天皇利用の序列制ですね。序列メンタリティの開花ですね。

 

>全共闘の学生は、三島のこの言葉=天皇を受け入れることはなかった。

 

全共闘は天皇が嫌いでしょう。革命と天皇は馴染まない。

 

>だから三島と学生は、「半分」までしか理解できないのだ。

 

そうですね。

 

>三島は経済大国日本にも、また学生にも同調できなかった。

 

三島は経済人でもなく、学生でもありませんからね。

 

>戦後のどこにも居場所はなく、その華やかで過激なまでに豊穣(ほうじょう)な小説群に抱かれながら、なお、自らは孤独であると感じていた。

 

序列メンタリティは、世俗的で不安定ですね。人間序列を実現する空間がこの世界にはありません。

 

>そして思った、戦前の人々と交わした約束を守るには、戦後の象徴天皇制はもちろん、明治立憲制下での天皇にも疑問があると。

 

それは、その通りですね。疑問がありますね。法律ですからね。信仰の問題にはなりませんね。

 

>天皇は政治ではなく、文化のためにこそ奉仕すべきであり、神でなくてはならないと。

 

日本の文化は序列制度ですね。人間序列の最高は神でなくてはなりませんね。そして、底辺は下々になりますね。’上とみるか、下とみるか’ の判断で忙しい。.

 

>・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

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閲覧数55 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/08/21 00:08
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