2017年09月22日(金) 

 

 

>■あいまいな言葉は思考もあいまいにさせる

>思考を柔軟にすることともう一つ、「考える力」を伸ばすために重要なことがあります。>それは、「子どもの自分の判断を尊重し、選択をさせる」ということです。

 

そうですね。子供を個人として尊重することが大切ですね。自主・独立した判断を (Independent) と言って褒めてあげましょう。

 

>たとえば「和」を大切にする日本では、あいまいな表現が好まれます。

 

日本は、感情的に恣意決定される社会ですから大変ですね。論理的な意思決定ができないことに問題があります。

 

>これは相手を傷つけまいとする心配りであり、素晴らしい文化なのですが、あいまい表現に慣れてしまうと、思考もあいまいになってしまうのです。

 

そうですね。日本人には、意思 (will) がありません。意思は未来時制の文章内容として表現されますが、日本語文法には時制というものがありません。ですから、日本人には意思がありません。

日本人には意思はありませんが、恣意 (私意・我がまま・身勝手) が有ります。意思は未来時制の文章になりますが、こうした構文の存在しない社会では、その想いはバラバラな単語のままで脳裏に残ります。それが恣意 (self-will) であり、恣意は小言・片言・独り言として発せられます。

聞き手は忖度 (推察) により恣意に勝手な解釈をして、現実対処をします。このような過程は、’正しい作文・正しい理解’ の勉学からは、全く外れた世界であります。ですから、父親が海外転勤などで子供が欧米の小学校に通い始めると、問題が露呈します。

 

>父親の海外転勤などで子どもが欧米の小学校に通い始めた時、最初にとまどうのが表現方法の違いです。>欧米の学校では、イエス・ノーを明確にすること、自分の考えを表現することが常に要求されます。

 

そうですね。自分の文章が、肯定文である時には ‘イエス’ と答えます。否定文であれば ‘ノー’ と答えますね。日本人のように文章そのものが脳裏に無ければ、イエスともノーとも答えられませんね。戸惑いは、隠せません。ですから、優柔不断・意志薄弱な人間に見えます。

 

>「吉田くんと同じ意見です」などと言おうものなら、「吉田くんと君の考えはどこが同じなのか、あなたの言葉で説明してください」と突っ込まれてしまいます。

 

そうですね。伝達される情報は言葉の中で全て提示されるのが彼らの文章です。自分の言葉ですべてを説明する必要がありますね。これが日本語の世界であるならば、言葉以外に状況や文脈も情報を伝達する。重要な情報でも言葉に表現されないことがある。ということでやり過ごすことになります。

 

>多民族、多文化が集まるグローバル社会では、人間は一人ひとりが「違う人格」であるという前提です。

 

そうですね。個人主義が前提となっていますね。個人が違えば、考えの内容も違います。グローバル社会では正確性が必要とされる言語を使用する必要がありますね。無用な混乱は避けたいものですね。

 

>無用な誤解やミスコミュニケーションを避けるために、あいまい言葉よりも直接的な意思表現スタイルを取るのです。

 

そうですね。意思は未来時制の文章内容であり、文章内容には意味があります。ですから、その理解も可能です。

恣意はバラバラな単語のままで存続します。恣意は文章にならないのですから意味もなく、矛盾さえもありません。日本人は、相手の小言・片言・独り言を聞いて、忖度 (推察) を働かして現実対応をします。これを ‘おもてなし’ の心であると我々は信じています。が、忖度は聞き手の勝手な解釈でありますから、正しい理解ではあません。ですから、無用な誤解やミスコミュニケーションを生じます。我々は、自分たちの言葉により、自分たちの間に無用な混乱を生じさせています。正確性が必要とされる言語・英語をも学んで内外の混乱を一掃するように努めましょう。

 

 

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閲覧数27 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/09/22 16:27
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