2017年10月08日(日) 

 

>海外の学術誌が、世界的に見て例外的な失敗事例として日本を研究対象にするのも理解できます。>でも、このことを日本のメディアはほとんど報道していません。

 

日本人は、興味のないことですからね。

 

>それを重大な問題として受け止めている気配もありません。

 

‘心ここにあらざれば、見れども見えず’ でしょうね。

 

>でも、Foreign Affairs Magazineの論調は実に手厳しいものでした。

 

それは、当然なことでしょうね。ことは国家の一大事ですからね。

 

>日本の文科省が行ってきた過去20年間の研究拠点校作りがいろいろありました。>COE、RU11、グローバル30などなど。これについて「孤立した、単発の、アイランド・プロジェクトであり、それゆえ全て失敗だった(It was therefore a total failure)」という総括でした。

 

そうでしょうね。

 

>実感としては、僕もそうじゃないかなという感じがしてはいたのですけれど、まさかここまではっきり海外のジャーナルから指摘されるとは思っていませんでした。

 

そうですね。我々は、外国の教育制度を批判したことはありませんからね。

 

>Foreign Affairs Magazine が日本の大学教育の特徴として挙げていたのは、「前期産業社会に最適化した、時代錯誤的な教育制度」であることと「批評的思考(critical thinking)、イノベーション、そしてグローバル志向(global mindedness)」が欠落していることでした。

 

FAMの指摘は、リーズナブルに見えますね。

 

>「グローバル化に最適化した教育」とか言ってきた割には、日本の教育には「グローバル志向」が欠如していると指摘されてしまった。

 

日本人には世界観が無い。だから、グローバルな発想できませんね。「グローバル化に最適化した教育」は、日本人のお題目に過ぎないのでしょうね。

 

>「グローバル志向」の定義は「探求心、学ぶことへの謙虚さ、世界各地の人々と共同作業することへの意欲」だそうです。それがない、と。

 

そうですね。日本人は議論ができませんから共同作業は無理ですね。自分さえ良ければ、になりますね。

 

>こうも書かれていました。「日本の教育制度は社会秩序の保持と、献身的な労働者の育成と、政治的安定のために設計されている」と。

 

まったく、おっしゃる通りですね。我が国は、現在人手不足に陥っています。ですが、頭能不足の話は聞いたことがありません。我々には、興味のない話題なのでしょうね。

 

>それが「前期産業社会に最適化した、時代錯誤的な教育制度」ということです。>ポスト資本主義の時代に入ろうという移行期に「前期産業社会に最適化した教育制度」で対応しようとしているわけですから、学術的なアウトカムが期待できるはずがない。

 

同感いたします。日本人は、相変わらず無哲学・能天気ですね。

 

>さすがにここまで言われたのですから、文科省としてはきっちり反論すべきだったと思います。>自分たちがやってきたことをほとんど全否定されたわけですから。

 

文科省の関係者は、責任を持って答えるべきですね。

 

>もし、自分たちの教育行政がそれなりの成果を上げていると信じているなら、論拠を挙げて反論すればよい。

 

理路整然と信念を述べたら良いですね。

 

>バカなことを言うな、自分たちの教育政策はこんなに研究成果を上げているぞ、と。ちゃんと数値的な根拠を示せばいい。>でも、文科省はノーコメントでした。まったく反論しなかった。

 

日本人には、責任感がない。このことは、文科省の責任者とて例外ではないでしょう。

 

>逆に、指摘が当たっていると思ったら、率直に失敗を認めて、これを契機に、何がいけなかったのか、原因を究明すればいい。

 

そうですね。同感です。それが、ポスト資本主義に対する建設的な態度というものですね。

 

>でも、文科省はそれもしなかった。

 

誰にも責任が無いからでしょう。とかく、この世は無責任。

 

>反論しなかったのは反論する根拠がなかったからでしょう。

 

日本人には意思が無ありません。ですから、説明責任はとれませんね。

 

>失敗を認めなかったのは、失敗を認める責任を取らされるからでしょう。

 

意思のない人には、責任もないからでしょう。

 

>だから、失敗しているにもかかわらず、その事実を認めず、それゆえなぜ失敗したのかを吟味することもしなかった。

 

責任者がいないのではありませんか。それだから、思考能力が発達しない。責任を持って現状に対処する人物が、文科省にも、日本国にも不在なのではありませんか。

 

>ということは、文科省はこれからも教育行政で失敗し続けるということです。

 

そうですね。でも、’分かっちゃいるけどやめられない’ と言うことでしょうね。

 

>これまでの失敗を認めないということは、失敗事例から学習することを拒否したということです。

 

そうですね。意思がければ責任が無い。加害者意識も生じない。罪の意識が無い。深刻な反省には至らないでしょう。

 

>だったら、同じ失敗をこれからも続ける他ない。有害無益なことだとわかっていても、止められない。

 

そうですね。‘玉砕に次ぐ玉砕’ の様な戦法ですね。この道は、いつか来た道。反省の色はない。

 

>止めたら「こんなこと誰が始めたのだ」という責任問題が発生するからです。

 

犯人探しですか、捕り物帳ですか。意思のない人には罪は無いでしょう。

 

>だから、無駄とわかっていても、止められない。

 

‘分かっちゃいるけど、やめられない’ ということですね。’そのうち何とか成るだろう’ ということですね。

 

>でも、何かしないといけないから、これまでの仕事に追加して、新しい仕事をどんどん課してゆく。

 

転向不可能ですからね。洗脳教育を受けているからでしょう。自分自身の頭では考えられないのではありませんか。

 

>でも、教育の現場にいるのは生身の人間ですから、使える時間も体力も限界がある。>どこかでバーンアウトする。

 

国家規模での原因究明が必要ですね。

 

>現に、バーンアウトが始まっている。>その結果が、この悲惨な学術的生産力の低下として現象しているわけです。

 

意思のない世界は、さながら自然界の様なものですね。人為的なものは見られません。

 

>(後略)

 

 

.

 

 

 

 

 

 


閲覧数30 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/10/08 04:23
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