2017年10月12日(木) 

 

 

>多くの日本人は勘違いしているのだが、物を覚えるというのと、考えることができるというのは別のものだ。

>・覚える。・考える。この2つは似ているようで、まったく違う。覚えるというのは、世の中の原理原則を覚え、歴史を覚え、仕組みなどを記憶するというものだ。

>しかし、「覚える」というのは単なる基本であり、本来はそこからさらに飛躍しなければならない。それが「考える」というものだ。

 

我が国は、初等・中等教育止まりですね。高等教育は、機能を停止しています。

 

>学校が物を覚えさせる場所であるというのは誰でも知っている。しかし、考えさせているのだろうか。

 

日本人にとって、考えることは、とても難しいことです。ですから、考える目的の学校を作っても成功しません。

 

>日本の教育は、構造的に「覚えさせても、考えさせない」という教育になっている。覚えさせても、考えさせないのである。「考える」という部分を軽視している。

 

同感です。構造的の前に文法的でしょうね。

 

>なぜか。それは、学校が何のためにあるのかを考えれば理解できるかもしれない。学校とは、社会で通用する人間を作り出すところだからだ。日本で「社会に通用する」というのは、サラリーマンになれるということでもある。

 

日本人は、無哲学・能天気です。そうした社会に通用する人間の育成を目指していますね。

 

>●教育とは子供を規格化するという側面がある

>学校は最終的に子供を社会で通用する人間に「矯正」する場所である。子供を規格化するのだ。

 

‘金太郎あめ’ のような顔をした人間を作ることですね。考えに個性が無い。

 

>日本では国民の8割がサラリーマンであることを考えると、日本の学校で重要な使命は「日本人がサラリーマンとして通用するように規格化すること」と言うことになる。

 

社畜の育成ですね。

 

>ここに問題がある。サラリーマンとは、「上司の言うことをよく聞いて、口答えせず、言われたことを忠実に行い、不満があっても黙々と働き、集団生活を優先する」ということができる人間でなければならない。

 

即ち上意下達の励行ですね。

 

>だから、日本の教育はその現状に沿って、そういった人間を作り出す仕組みになっているのである。上記の特徴を、もう一度よく考えてみて欲しい。あることに気づかないだろうか。

 

現実の内容は、頭の外にある。非現実の内容は、頭の中にある。非現実の内容は、考えの内容のことである。

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。

非現実の内容は、時制のある文章内容になる。だが、日本語文法には時制が無いので、非現実の内容は、文章にして表現できない。だから、日本人は、自分の考えを言い表すことが難しい。

 

>「上司の言うことをよく聞く」とは、自分の意見を持たないで指示待ちの人間になるということである。つまり、自分で「考えない」ことが重要だ。

 

上意下達。洗脳教育の成果ですね。

 

>「口答えしない」と言うのも、自分の意見を殺して会社の意向を無条件で重視するというものだ。つまり、自分で「考えない」ことが重要だ。

 

自己表現を抑制する。だから、責任者が見当たらない。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。

 

>「言われたことを忠実に行う」というのも、ロボットのようになるということであり、それはすなわち自分で「考えない」ことが求められている。

 

上意下達。洗脳教育の成果です。

 

>「不満があっても黙々と働く」という奴隷のような状態も同じで、「考えないようにする」ことで達成できる。

 

日本人には意思が無い。無意思で働くアニマルの様なものである。ですから、責任を果たすためには牛馬の苦しみを伴います。

 

>「集団生活を優先する」というのも、結局は自分の意見や考えよりも会社集団を尊重するということであるから、「考えない」ことで達成できるのだ。

 

日本人には意思が無い。意思のない人々の意思決定は困難である。ですから、烏合の衆になります。

 

>(略)

>●日本の教育では「考えさせない」ことが使命

>ところで、人間はいろいろ物を覚えさせれば自然に「考える」人間になってしまう。しかし、日本の教育では「考えさせない」ことが使命としてある。

 

考えの内容は、個人により違いますからね。日本の教育では、異口同音の内容を教えます。

 

>教育の現場では、どうやって子供たちを考えさせないようにしているのだろうか。それには、次の5つによって、成し遂げられている。

> (1)暗記を押し付けて「考えさせない」

 

暗記の内容は、頭の外にあります。考えの内容は、頭の中に在ります。両者は所在が違いますから、内容が同じになりません。

 

> (2)苦手を押し付けて「考えさせない」

 

いらいらして、考えが阻害されます。

 

> (3)制服を押し付けて「考えさせない」

 

個性を殺しますね。

 

> (4)規則を押し付けて「考えさせない」

 

不自由を常と思えば不足なし。

 

> (5)団体行動を押し付けて「考えさせない」

 

全員起立ですね。ご唱和ねがいます。

 

>暗記をひたすらやらせると、考えるヒマがない。だから、学校は考える余裕がなくなるほど、暗記させる。

 

現在の日本は人手不足に陥っています。だが、頭脳不足という話はありません。

 

>暗記教育が悪いわけではないが、暗記重視によって考えるという部分が消失してしまうようにしているのは問題だ。

 

暗記の内容は、頭の外にあります。考えの内容は、頭の中に在ります。両者は所在が違いますから、内容が同じになりません。

 

>得意を伸ばさず、苦手を克服するように仕向けるのも、考えさせるのを嫌にするための手法だ。

 

得手に帆を揚げるのが良いですね。

 

>誰もが苦手なものを考えるのは苦痛だが、その苦痛を押しつけることによって、考えることそのものを苦痛にしてしまう。その結果、誰も考えなくなってしまう。

 

考えることは、頭脳労働ですからね。くたびれます。

 

>制服を押しつけるのも、個性を殺して「考えさせない」ための有益な手法である。

 

そういうことになりますね。

 

>細かい規則を守らせるのも、団体行動を強制するのも、すべて「考えさせない」で「従わせる」ためのものなのである。学校が馬鹿げているほど細かい規則を守らせるのはなぜか。

 

立ち居振る舞いに厳しいことですね。

 

>究極的には「何も考えず、黙って従う」人間を作り出すためだ。日本の学校は、考えない人間を5つの方法で生み出していると言っても過言ではない。

 

わき目も振らず、働くことですね。

 

>あなたは考えているだろうか? あなたの受けた教育は、社畜になるための教育だったのだから、「自分を取り戻す」ためには、学校で覚えたことはすべて忘れる必要がある。

 

さて、そうであったのか。

 

>ただ、サラリーマンで居続けたい人間だけは、考えてはいけない。下手に考えると、社会からはぐれてしまうからだ。

 

国際的な人間は、考える人にならなければならないでしょうね。誰にも哲学は必要である。(Everyone needs a philosophy.)

 

>リンクより

 

 

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閲覧数16 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/10/12 20:55
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