2017年11月11日(土) 

 

 

>●国民による国民のための詩集

>多くの国民が参加して偉業を成し遂げるというのは、巨大建造物に限らない。>世界最古、最大の選詩集『万葉集』もその一つである。>4,516首という規模で世界最大であり、かつ、7~8世紀の歌を集めている。

 

確かに偉業ですね。

 

>規模や古さだけではなく、万葉集が特徴的なのは天皇から庶民までほとんどあらゆる階層を含んでいることである。>アメリカの文学史家、ドナルド・キーン氏は…天皇の国見の歌から、恋の歌、生活の歌まで、その題材の豊富なことは、詩集として世界でも稀なことであると述べている。

>作者も宮宮廷の詩人だけでなく、防人(さきもり)の歌や東人の歌、農民、遊行女婦、乞食まで多様な階層の歌が選ばれているのである。>いかに階層に対する偏見がないか、また平等な世界であったかがよくわかる。>(同上)

 

階層 (class) に対する偏見は無いかもしれませんが、序列 (hierarchy) に対する偏見はあるでしょう。日本語には階称 (言葉遣い) というものがあって、序列判断は避けられません。この判断が偏見となっています。

 

>西洋や中国の詩集が専門歌人の作品を集めているのに対し、万葉集は、多くの国民がそれぞれの思いを詠んだ詩歌を集めた、まさに国民による国民のための詩集であった。>この和歌の伝統は、現代の日本でも皇室を中心に中学生から老人まで数万の短歌を集める「歌会始め」に連なっている。

 

序列体制が堅持されていますね。

 

>●国を挙げて取り組んだ教育水準の向上

>幅広い国民参加による世界レベルの偉業達成というパターンは近現代でも続いている。>江戸時代の教育水準の高さはその一つである。

 

これで、我が国民は賢い国民ということになりますかね。

 

>トロイの遺跡発掘で有名なドイツの考古学者シュリーマン(1822~1890)は、トロイ発掘の6年前の1865年に旅行者として日本を訪れ、1カ月の間、江戸、横浜などに滞在しているが、「教育はヨーロッパの文明国家以上にも行き渡っている。>中国をも含めてアジアの他の国では女たちが完全な無知のなかに放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる」と旅行記のなかで書いている。>(同上)

 

そういうことでしょうね。

 

>この世界一の教育水準は、日本各地に無数に設置された藩校、私塾、寺子屋によって達成された。>藩校の最初は、元禄10(1697)年に米沢藩が設立した興譲館だが、その後、全国に広がり、幕末までに約260のすべての藩が、規模や形態の差はあれ、藩校を設置している。

 

アメリカの州立大学の様なものですかね。

 

>私塾は寛文2(1662)年に、伊藤仁斎が京都に古義堂を開設して以来、様々な専門分野で広がり、幕末には全国で1,500もあったといわれている。

 

今日でも、塾・予備校は全国にありますね。

 

>寺子屋は農民や町民の子供たちにお坊さんや神主、町のご隠居や武士などが教えていた。>幕末には全国で1万から1万5,000もあった。>現代日本の小学校数約2万に匹敵する規模の初等教育が行われていたことになる。

 

明治10年生まれの私の祖母たちは、文盲でしたがね。

 

>藩校を運営した各藩主から、私塾を経営した各分野の専門学者、さらには寺子屋で教えるご隠居さんまで、国民の各層がそれぞれに人づくりの志を持って取り組んだ結果が、世界一の教育水準なのである。

 

そうですね。処世術の励みは盛んでしたね。

 

>●「何事か成らざらん(できない事などあろうか)」

>『日本史のなかの世界一』には、このほかにも「江戸時代、268年間の安寧」「日本の花火の豪華さ美しさ」「パーフエクト・ゲームとなった日本海海戦」「戦後日本、奇跡の復興と高度経済成長」「自然環境との調和、森林の保存の歴史」と、興味深い世界一が次々と紹介されていくが、これらも無数の国民が力を合わせて実現したものである。

 

自己慶賀に資する事柄ばかりを並べましたね。

 

>その最後を飾るのが「世界最長の王朝、万世一系の天皇」で、皇室が2,000年以上も続いてきたこと自体が世界史の奇跡なのだが、その陰にあって皇室を支えてきた無数の先人たちがいたことを忘れてはならない。

 

序列制度に資する滅私奉公は忘れられませんね。

 

>「和をもって尊しとす」とは、聖徳太子の17条憲法の第一条冒頭の一節だが、これは単に「仲良くしなさい」という意味ではない。>第一条は、上下和睦して事を議論する時は、物事の道理が自ずから通うので、「何事か成らざらん(できない事などあろうか)」という強い信念で結ばれている。

 

日本人には、理屈が通りませんね。それは、頭の外にある内容 (現実) は述べることが出来るが、頭の中にある内容 (考え・非現実) は述べることが出来ないからです。全ての考え (非現実) は文章になる。文章にならないものは、考え (非現実) ではない。日本語文法には時制 (tense) というものがありませんので、非現実の三世界 (過去・現在・未来) の内容を文章にすることが出来ません。文章にならないものには意味が無く、矛盾も指摘できません。ですから、話の筋は通りません。それで、’単に仲良くしなさい’ という意味になるのでしょう。

 

>世界の陸地面積の0.2%でしかない日本列島に住む、世界人口のわずか約1.7%の日本人が、これだけの世界一を成し遂げたことを見れば、人々の「和」によって「できない事などあろうか」と断言された太子の確信の正しさが史実として証明されている、と思えるのである。

 

確かに、日本人は力を発揮していますね。でも我々は、もっと大きな力を発揮できるはずです。

日本人には、大同 (非現実・哲学) が無い。小異 (現実・処世術) の闘争に明け暮れています。大同を示さなければ、小異を捨てる理由はありません。だから、国会議員たちは、離合集散を事としています。それで、大同団結ができません。

日本人は、考え方を変えなくてはなりませんね。時制ある考え方・非現実を語る考え方を獲得する必要があります。非現実を現実に変える励みに成功すれば、我々は人類固有の創造力を発揮したことになります。

英語には時制というものがありますので、哲学が可能になります。ですから、夢も希望もある生活が実現します。我々は日本語と英語の両方を真剣に学ぶ必要があります。

 

 

 

 

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閲覧数25 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/11/11 11:05
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