2017年11月13日(月) 

 

> [道徳教育について、児童・生徒を評価することの危うさ 洗脳教育は始まっている]

>現在、小学校には道徳の時間がありますが正式な教科ではありません。>これを中央教育審議会は下村博文文科相に対し、正式教科にするよう答申しました。>文科省のホームページにはまだ掲載されていないようです。

 

道徳教育が必要となる精神状態は危険な状態ですね。

 

>道徳についても、点数化はできないものの記述式の評価を与えるとしています。

 

暗記力のテストですね。

 

>道徳について評価を与えるということは、一定の価値観を植え付けることにつながっていきます。

 

日本人は、自分で考えることが出来ないから、外から基準を与える必要があるのですね。

 

>人類普遍の価値観であれば、「一定の価値観」の押し付けということにはならないとしても、しかし、本来は、その人類普遍の価値観をどうやって実感させ、血肉となるのかということこそ目標となのですから、本来的に評価に馴染むのかという問題があります。

 

そうですね。人類普遍の価値観は、自分自身で決めるものでしょう。

 

>「命を大切にしましょう。」などと言ってみても暗記学習ではないのです。

 

自分自身に判断力は無いのですから、暗記内容を正当なものとして主張するしかありませんね。

 

>それ以上に危ういのが「愛国教育」です。>愛国教育こそ下劣なものはありません。>愛国という場合には、ほぼ例外なく「愛国」=現体制なのです。

 

そうですね。現体制は、国そのものですからね。金正恩の様なものか。

 

>体制を批判する言動を行うと、ネットウヨクたちが、「反日」とか「韓国に帰れ」とか騒ぐのと同じレベルです。

 

ネット右翼は、現体制ですね。

 

>文科省のホームページに道徳の教科書が掲載されています。>愛国なる言葉は、小学校高学年から出てきます。>これをどのように評価しようというのでしょうか。>「愛国」などというものは極めて抽象的な概念です。>そして感情に訴えるということに大きな特徴があります。>そこに理屈は存在せず、考えさせずというものが「愛国」の正体であり、本来的に道徳などで扱うのは間違いです。

 

勿論、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ(ヘルマン・ゲーリング)。

 

>このような特定の価値観は人類普遍の価値観とは言えませんし、それを国家が主導して行うこと自体、国民の思想統制に結びつくものです。

 

自分で決められない国民は、為政者にとって都合のよい材料ですね。中国のようなものですね。

 

>本来的に「愛国」について国民がどう思おうとも自由であり、それが憲法が保障する思想良心の自由です。>この意味では「愛国」などというものは義務でも何でもありません。>憲法上は国籍離脱の自由も保障されています。

 

そうですね。愛は愛でも、愛国は為政者の利益になる。愛人は為政者の利益にならない。

 

>ちなみに私にも「愛国心」はありますよ。>平和国家日本が極右勢力安倍自民党などの米国様々の売国奴に汚されていく現状には、怒りが込み上げてきます。

>(途中略)

>小学校高学年の道徳教科書には「郷土や国を愛する心」の項目の中に剣道についても出てきます。>第1次安倍政権のとき、武道が必修化されました。まさに精神主義的なものを植え付けるためのものということがよくわかります。>怪我とかいう危険性の問題ではなく、本来的にこのような武道を必修として強制していくこと自体が問題なのです。>「武道必修化は愚策そのもの」

 

GHQは戦後、‘道’ と名のつく習い物をすべて禁止しましたね。日本人の序列昇進の励みを助長するからでしょう。’小さな体に大きな望み’ は、精神主義ですね。

 

>このような道徳教育と相まって自衛隊の海外派兵、集団的自衛権の行使による戦闘地域への派兵があることを忘れてはなりません。

 

無分別な国民の危険性は、常に変わることがありませんね。

 

>既に児童・生徒に対する洗脳教育は始まっているのです。

 

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。

現実の内容は、頭の外にある。考え (非現実) の内容は、頭の中にある。

現実の内容は見ればわかる。考え (非現実) の内容は、見ることが出来ない。考えは話になる。話は聞いてもわからないことがある。矛盾が含まれているのかいないのかを判断しなくてはならない。

文章があれば、意味もある。矛盾があれば、その指摘もできる。だから、議論になる。文章が無ければ、話にならない。

 

日本語は、現実描写のための言葉である。日本語文法に時制というものがないので、非現実の内容を文章に構成することは出来ない。だから、日本人は、自分の考えを示すことが難しい。

自分自身の考えを示そうと努力する者に対しては、’そんなこと言っても駄目だぞ。現実はそうなっていない’ と、現実肯定主義者から反発を受ける。

自分自身の考えをまとめることのできない者に対しては、洗脳教育が有効である。与えられた内容しか、頭の中に残らない。だから、逸脱が無い。従順で、為政者は安心できる。民主主義はおろそかになる。

 

 

 

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閲覧数30 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/11/13 06:31
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