2017年12月07日(木) 

 

 

>著者は我が国言語学界の大御所鈴木孝夫。>鈴木は言う、(略)

>二足歩行を始め大きな脳を手に入れた人間は、知と言葉を得て文明を発展させた。

 

そうですね。

 

>そして、西欧文明は個を発明した。個の観念は生物には存在しない。人間の創造である。知ゆえの発明である。あらゆる生物の中で個の存続を種の存続よりも優先させるのは人間だけであると言う。

 

人間の創造力によるものでしょうね。

 

>知に拘り、個を偏愛した西欧文明は哲学を得るとともに一神教に囚われた。

 

そうですね。考えの内容は個人個人で違いますから哲学になりますね。

 

>知を偏愛し、本能を軽視し、情を蔑ろにすることは、人間を人間でなくすることである。

 

知を軽視すると、人間は限りなくアニマルに近づくことになりますね。

 

>個人主義を追求することは、全体を捨て、すべてとの繋がりを断ち切ることである。

 

そのようなことは無いでしょう。個人の考えの中には全体があります。世界観があります。個人個人で考えは違いますからね。個人を擁護しなければ、個人の考えも擁護されません。

 

>情を持つ人間は知だけでは耐えられない。繋がりを失くした人間は絶対孤独には耐えられない。

 

人は、世界観を共有する必要がありますね。

 

>かくして人々は絶対者に救いを求めた。この行為は情の行為である。知を至上のものとし情を捨てた挙句、情の行為に走らざるを得なかったのである。

 

他力本願・神頼みのようなものですか。人間は弱いですからね。

 

>この絶対矛盾を西欧文明は知の論理で取り繕うとしてきた。しかし、今やその矛盾は隠し遂せなくなってきた。一神教は本質的に他者を認めない。共存を許せない。それが一神教の一神たる所以である。

 

そうでしょうね。あまり神がかるのは危険ですね。一神教は、他神を認めない。しかし、その信者は他宗教をも認める。だから、ユダヤ教は布教をしないそうです。されど、ISISはやるか。

 

>地理的条件ゆえか、幸い日本語は知と情のバランスを失わずにこられた。そして、極端な個人主義の病にも侵されなかった。日本文明は一神教を必要とはしなかった。

 

日本語は個人の特性が現れない言語ですから、日本人に個人主義の習得は難しいですね。一神教も難しい。

 

>西欧文明と日本文明は本質的に異なる文明である。日本は近代化によって西欧文明を大量に取り入れた。しかし、それは表面だけのことであって、日本人のものの考え方の本質はほとんど変わってはいない。近代化によって日本語の本質が変わったわけではない。

 

そうですね。言語は考えるための道具でしょう。日本語文法が変わらなければ、日本語の本質は変わらないでしょうね。今後も文法は変わらないでしょうね。

 

>この日本語を世界に広めるべきだと鈴木は言う。

 

そうですね。日本語は、哲学には不毛だが、実学 (技術) に適した言語でしょう。おかげさまで我が国は、技術立国を経て、経済大国になった。日本語を世界の人に覚えてもらうのが良いですね。

言語の習得には、音読が効果的ですね。日本語をローマ字 (alphabet) 表記にすれば、難解な音読の問題は、たちどころに解決します。この改革は、特に非漢字圏から来た技術研修生の福音になるでしょう。

 

>日本語にはタタミゼ*効果があるのだと言う。タタミゼ効果とは、日本語で話していると柔らかい人になるのだと言う。日本語には「私」という言葉が必ずしも必要ではないので、日本語の中では状況全体がざっくりあって、全体の中に何となくいることが、ふぁーとして心地よいのだ、と或るフランス人も言っているのだそうである。

 

自己主張が無ければ、ふあーとして心地よいですね。自己主張があれば、相手の闘争心を感じますね。聞き手は、それとなく不安になります。

 

>この日本文化と日本語の同化の力が何によるものなのか、鈴木はまだ正確な分析をしたわけではないが、現代の日本に根強く残る自然との融和性や共生的世界観、そして日本語自体に秘められている感性的なユニークさが、外国人をしておのずから日本化させてしまうのだ、と言っている。

 

なーなー主義による同化でしょうね。

 

>私は、実は、ここの処が大切だと考えており、日本語学の権威でもある鈴木孝夫の考えを聞きたいと思っていたので、この点やや期待はずれではあった。>日本語に秘められている感性的ユニークさとは具体的にどうゆうことなのか。

 

それは日本人の忖度 (推察) に因るものでしょう。勝手な想像・勝手な解釈でしょう。これは、西洋人の行う正しい (矛盾を含まない) 作文・正しい解釈の語学の道から外れています。だから、日本人は議論ができません。

 

>根強く残る自然との融和性や共生的世界観と日本語との関係はどうなっているのか。

 

個人の意思を感じさせないことでしょうね。さすれば、万事が自然です。

 

>タタミゼ効果はなぜ起きるのか。>「私」と言わないことが、なぜ、ふあーとして心地よいのか。>これらは言語学の解くべき課題である。特に日本語学の大きな使命である。

 

自己主張が無ければ、ふあーとして心地よいですね。精神的な疲れも少ないのでしようね。

 

.

 

 

*タタミゼ/タタミーゼ (フランス語: tatamiser) : 畳の上の暮らし 

 

 

 

 

 

 


閲覧数36 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/12/07 10:22
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