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2017年12月11日(月) 

 

 

> なぜ「現代やまとことば」か?

> 巨大な言語である日本語には、日本語の中でも共通語が必要ではないかと思っています。> 母語話者として日本語を使っている人は、日本人の人口よりやや多いと言われています。> 世界中の言語の中で9位に位置する人数となっており、決して少ない数ではありません。

 

そうですね。日本語は、特に役立つ言語でしょうね。それにしても、ほとんどが母語話者ばかりで、国際語とならないところが惜しいところです。

 

>ところが、日本語話者の間であっても、会話の理解の割合は、他の言語話者に比較すると少ないと言われています。

 

そうですね。日本人の精神活動は文章にはならずして、人の心から心へと直接伝えられますからね。以心伝心・不立文字。日本人には意思が無いので、日本語は意思疎通のためには不向きな言語です。

 

>つまりは、日本語話者同士の会話であったとしても、決して言いたいことがきちんと伝わっていることではないことを示しています。

 

そうですね。バラバラな単語 (小言・片言・独り言) では言いたいことがきちんと伝わりませんね。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

生涯のつまずきを避けるためにも我々は発言を文章にして語ることが大切です。しかし、日本語の場合は、時制がないので、英語のように異なる次元の文章を並置した上で比較して自らの結論に導くことはできません。ですから、英米人のような大人の話はできない。そこで、以心伝心・不立文字となります。こうした精神状態では、国際社会に立つことは難しい。彼らの言語では、考えは必ず文章になる。文章にならないものは、考えではありません。

 

>その原因としては、日本語が他の言語に比べて圧倒的に表現が豊かであることがあります。>また、民族の性格として、自分のことを多く語ることを良しとせず、「行間を読む」というような言語外のニュアンスを推察することを重んじるからだと言われています。

 

文章ができないから、行間を読むこと (忖度・推察) が発達したのでしょうね。しかし、文章が無ければ、意味は成り立ちませんね。これは国語教育に関する深刻な問題です。

 

>ほとんどの人が同じような社会生活を行なっているときは、それでも何の問題もなかったのだと思います。

 

そうですね。なーなー主義の生活ですね。非言語生活を送るアニマルの様なものです。

 

>ところが、社会の層や幅がどんどん広がるにしたがって、自分の知らない社会が広がっていきます。>より細かくなり専門化していきます。> 様々な専門用語が生まれ来るとともに、それまでの言葉も使われ方が変わっていきます。> 結果として、同じ日本語のカテゴリーではあっても自分の理解しにくい言葉が増えていくことになります。

 

そうですね。膨大な数の外来語は、純然たる日本語ですからね。

 

> 特に、漢字はとても造語力のある文字ですので、新たな言葉は日々生まれていると言ってもいいくらいです。

 

それにしても、漢字には字数の制限が加えられていますからね。時代に即した新しい漢字の導入は今後も期待できませんね。

 

> 私は「現代やまとことば」として、ひらがな+訓読み漢字による表現を推奨しています。>あまりに便利すぎる漢字に頼ることで、意味が伝わりにくくなっていると考えているからです。

 

そうですね。いっそのこと漢字を廃すれば、日本語の音読も容易になり、日本語の習得もずっと楽になります。

 

>なぜ、訓読み漢字なのか?> 漢字による表現を確認することで、その理由をみていきたいと思います。> 日本人は、漢字を使いこなすことによってさまざまな文化を取り込んできました。> 漢字は表意文字ですので、文字として見ただけでその意味するところを感じ取ることができます。>しかも、音読み漢字は簡単に重ねていくことができますので、何文字繋がろうともその意味するところは容易に理解できます。

 

そうですね。漢文と同じですね。

 

> 反対に、漢字がたくさんつながっている言葉ほどその実態をより具体的に正確に表していくことができます。> 役所や会社の部署や役職などがそのいい例ですね。

 

そうですね。漢字オンリーの国では、ものすごいことが起こっているわけですね。

 

>ところが音読み漢字がたくさん重なると、文字としては正確さが増したとしても音として聞いたときには「?」となることが多くなります。> 中国語を分からない日本人が中国語の発音を聞いたときに、一生懸命に漢字を思い浮かべようとしていることと同じことが起こります。

 

そうですね。私もアメリカ製の中国地図を見ているときに、一生懸命に漢字を思い浮かべようと努力しています。

 

> 音読み漢字は文字として見える場合にはその力を充分に発揮しますが、音としてのみ伝える場合にはとても理解しにくくなるのです。

 

そうですね。同じ漢文 (同文) を使っていても、地方が違えば中国人同士でも言葉は通じません。ですから、北京大学の新入生も中国語の勉強を始めなくてはならなくなるのです。

 

> 日本語の発音の基本音は母音を軸とした「ひらがな」の音でできています。> 他の言語に比べて基本となる音の数が極めて少なくなっています。>その分、同音異義語が多く存在することになります。>この現象は、音読み漢字において典型的に見受けられます。

 

原則として一字一音の中国人が驚いていますね。逆に、当然のこととして、異音同義語もできています。’城’ という漢字も、宮城 (ぎ)、与那城 (しろ)、金城 (じょう)、玉城 (き)、中城 (ぐすく)、などとなります。

 

> 馴染のない音読み漢字の重なった言葉を聞いたときには、頭の中でその音を持った漢字を探します。>それが意味のない文字の組合せしか浮かばない場合に「?」となります。>また、発信側の意味する漢字の組み合わせと異なったものを思い浮かべることもあります。>この場合は、完全な誤解として理解されてしまいます。

 

そうですね。

 

>また、音読み漢字には動詞がほとんどありません。> 思いつくものは、「論ずる」、「牛耳る」、「講ずる」、「動じる」などでしょうか。> 音読み漢字は、そのほとんどが名詞なのです。>これには、漢語の導入前に存在していた文字のない時代の言葉である「古代やまとことば」の存在が大きいです。> 漢語導入以前の「古代やまとことば」においては、基本動作を表す言葉は既に存在していました。

 

そうでしょうね。

 

>その言葉を書き表す文字として漢語を利用しました。>その漢語の読み方が訓読みなのです。> 文字としては漢語(漢字)を使いながら、読みとしては「古代やまとことば」を元にしたものが訓読みなのです。> 漢字の訓読みは、文字の無かった「古代やまとことば」に対応した充て字なのです。>ですから、訓読みは音では「やまとことば」(ひらがば)になるのです。> 音だけで理解できる言葉になるのです。> 反対に、訓読み漢字から「古代やまとことば」で使われていた言葉のニュアンスを知ることができます。> 例えば「かく」と読む漢字を並べてみましょう。> 書く、描く、欠く、掻く、画く、などが出てきます。>これらすべてに共通する動作なり動きが「古代やまとことば」における「かく」という行動になります。

 

そうですね。古代大和言葉の勉強にもなりますね。日本語の理解ですね。

 

> 「現代やまとことば」、ひらがな+訓読み漢字は音で聞こえるものはすべてひらがな(やまとことば)になります。> 漢字を探す必要のない言葉です。> 音だけで意味が理解できる言葉です。

 

そうですね。現代大和言葉は、表音文字で意味が理解できますね。日本語をローマ字 (alphabet) 表記にすると、音読が容易になりますね。特に、非漢字圏の人々の日本語学習が楽になります。

 

> 伝える環境や条件が厳しくなればなるほど「現代やまとことば」が生きてきます。

 

日本語を国際語にするように努力すると、我が国は世界規模の実学 (技術) の普及に貢献することができますね。頑張りましょう。

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閲覧数664 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/12/11 11:56
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