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2017年12月22日(金) 

 

 

(略)

>日本語は身につけるのが世界で最も難しいと言われている言語の一つです。

 

日本語の文法の内容はあまりありませんね。ニューヨーク生まれの私の友達は、’日本語は易しい’ と言っていました。

 

>その代り、日本語を母語として持っている場合には、世界の他の言語を使いこなすことが比較的簡単にできるようになっているようです。

 

日本人は、外国語の習得が苦手ではないでしょうか。

 

>日本語は、世界の言語のなかで最も多くの表現方法を持った言語であると言われています。

 

そうですね。高文脈文化の言語だそうですからね。

 

>その日本語からすれば、他の言語の規則的かつ直接的な表現方法は、パターンさえつかんでしまえば思っていたほど難しいことではないようです。

 

それでも日本人には外国語が難しいようですよ。パターンに慣れるのが難しい。

 

>しかも、日本語と中国語以外の言語においては、話し言葉を中心としたコミュニケーションで成り立っています。>聞き取れないことには会話になりませんので、訛りや方言に対して聞き取ろうという姿勢があります。>そのため、母語話者以外の話であっても自分の言語を使ってくれている限りにおいては、一生懸命に理解しようとしてくれます。>また、似たような音であれば推測できる技術も高度なものを持っています。

 

そうですね。対訳には、似たような言語がいっぱい並んでいますね。

(略)

>その分、思考言語としてはこれほど適したものはないということになります。

 

そうですね。それに反して日本語は非現実 (考え) の内容を表すことが出来ませんから、思考言語にはなりませんね。

 

>特にアイデアや発想の広がりは、他の言語の比較にならないものだということができます。

 

文章にならない単語には、意味もなければ、矛盾を指摘することもできません。バラバラと並んだ単語は、妄想・空想の材料となります。

 

>問題は、その特徴を使いこなしているかどうかということになります。>枠にはまった思考や、限られた知識に縛られた思考では、せっかくの日本語のチカラを生かしていないことになります。

 

日本人の精神活動は、言語では表せません。人の心から心へと直接伝えられます。以心伝心・不立文字です。これは昔から知られていることです。物に込められた日本人の心は、国際間の言語障壁をものともせずに、外国人の心に直接伝えられます。その評判も良く、我が国は技術立国を経て経済大国になりました。

 

>日本語で思考していると、何らかの枠をはめないとどこまででも発想が広がっていってしまいます。>そうなると、もう発想であるのか妄想であるのかわからないことになってしまいます。

 

日本語には、非現実 (考え) の内容を文章にするための構文がありません。それは、文法に ‘時制’ (tense) が無いからです。文章にならないものは、意味もない。矛盾も指摘できません。ですから、バラバラな単語のまま存在します。歌詠みの様なものです。単語の群れは空想・妄想の材料になります。おかげ様で、我が国は漫画・アニメの大国になりました。

 

>同じ言葉であっても使用する文字やアクセントによってもニュアンスが変わってきます。>多くの文字種を持っているうえに、「ひらがな」というとんでもなく広い感覚を持った使い方もあるのです。

 

カタカナもあるではないですか。しかし、ローマ字 (alphabet) の使い方は、まだ十分ではありませんね。

 

>三つの知的活動(認知活動・思考活動・表現活動)は、母語で行うことが一番効率がいいことはわかっていることです。>しかし、認知活動と思考活動が個人的な活動として自分の持っている言語だけで完結できるのに対して、理解を得るための表現活動だけは相手の言語を意識しなければなりません。

 

そうですね。日本人の精神活動を言語で表すことは難しいですね。その活動は、言語を介すことなく心から心へと伝えられるものですね。

 

>母語で表現活動を行なうことが、自分自身にとっては一番楽なのですが、それでは理解されないことにつながってしまいます。>したがって、相手の持っている言語への翻訳が必要となるのです。

 

そうですね。バラバラな単語では無理ですね。バラバラな単語には意味が無い。意味のない内容の翻訳は難しい。

 

>日本語はとても豊かな表現方法を持っています。

 

バラバラな単語には意味が無い。だから、理解は不可能です。そこで、忖度 (推察) で受けなくてはならない。忖度は、聞き手の勝手な解釈であり、発言者にその責任はありません。聞き手次第です。

 

>つまりは、相手の言語に翻訳するのに適した日本語での表現ができるのです。

 

日本人の思いつかないようなことは、日本語での表現も難しいですね。

 

>相手の言語の文法・語順や時制の制限に合わせた表現を、日本語でしておくことによって、より的確な翻訳を可能にすることができます。

 

時制については、難しいでしょうね。日本人の経験した事のない考え方ですから。昔から聞きなれている、’前世・現世・来世’ であったとしても、日本語での理解は難しい。

 

>同じ内容を、日本語で表現しても相手は理解しようとしてくれませんが、相手の言葉であれば一生懸命理解しようとしてくれます。

 

日本人には、’理解’ というものの理解が難しいでしょうね。日本人は、’忖度’ を ‘理解’ と取り違えています。

 

>そのために、相手の言語を知る必要があるのです。

 

日本人は横文字文化が苦手ですね。

 

>最高の思考言語を生かすも殺すも、表現活動次第となることがよくあります。>相手の言語をわからずに、一方的に自分の言語で表現したら、同じ日本語でも理解されないでしょう。

 

そうですね。非漢字圏の人々に、日本語の音読を広めましょう。

 

>日本語で表現する場合には、母語としての日本語の共通語である国語をうまく利用しなければいけません。>更には、国語の中の最も基礎的な「ひらがな」をうまく使わなければいけません。 (参照:あえて「ひらがな」で書いてみる)

 

ローマ字を使えば、日本語はさらに国際的になるでしょう。音読が容易になれば、日本語会話も可能になります。

 

>日本語の持つ表現力の豊富さと感覚の広さから見れば、表現言語としての英語は極めて限られた表現力しかありません。

 

日本語はバラバラな単語で、忖度 (推察) により伝えられる。しかし、これは言語による本当の伝えられ方ではありませんね。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

>これからの日本語のあり方は、英語の存在を抜きにしては考えられないでしょう。

 

そうですね。我々日本人には、日本語と英語の学習が必要ですね。

 

>しっかりとした日本語で、知的活動の力を付けたうえで、表現言語として英語を持っていることが理想の姿になっていくのではないでしょうか。

 

そうですね。何よりも英語で表現することが大切ですね。以心伝心・不立文字は、知的活動とはいえないでしょうね。非言語の芸術活動とでもいうのかな。

 

>学校教育で表現技術を学ぶ機会のない日本の言語教育においては、基礎的な言語力が身につく中学生以降で、英語による表現技術を学ぶ方がいいのかもしれませんね。

 

そうですね。いずれにしても我々日本人には、英語の学習は大切ですね。

 

>それによって、日本語による表現技術も磨くことができるかもしれないです。>少なくとも、知的活動における最高のツールとしての日本語は、絶対に手放してはいけないものですね。 

 

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。

現実の内容は、日本語の文章になる。日本語は、風景描写のための言語です。

非現実 (考え) の内容は、日本語の文章にはならない。非現実に関する想いは、バラバラな単語のままで日本語脳裏に存在する。歌詠みの様なものか。勝手な解釈は、英文になるのか。リーズナブルな訳出になるのか。

 

 

 

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閲覧数147 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/12/22 10:56
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