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2018年01月16日(火) 

 

>世相を斬る あいば達也リンクより転載します。

>----------------------------------------------------------

>~前略~

>6月26日  鳩山 由紀夫 ≫(鳩山由紀夫公式HPより)

 

>鳩山の声明文の中で筆者が、元首相としてはヨク言ったな、と評価するところは、 ≪しかし、米国の意向を忖度した官僚、財務官僚、大手メディアなど既得権側の抵抗は凄まじいものがありました。その力に十分抗し得なかったのは私の不徳の致すところと申し訳なく思っています。 私が目指した方向は決して間違ってはいなかったと今でも思っていますが、その後の政権が、私を反面教師にして、「官僚、米国に抵抗したからうまくいかなかったのだ、そこをうまくやればいいのだ」と180度民主党の進むべき方向が転換されました。何のために政権交代がなされたのか、という憤りを強く感じています。再稼働を含む原発問題、TPPも全く同じ発想です。 そしてこの消費税増税法案です。消費税を上げることは、官僚中の官僚組織、財務省の悲願なのです。≫と云う部分。

 

バカ殿さまと家老たちの組み合わせによる喜劇の様なものですかね。

 

>日本人が、米国の意向を忖度する、霞が関官僚組織とマスメディアや経団連等々の既得権益集団が、どれ程「民意」を無視して、政治主導政治を阻止しているか、それを鳩山がウィキリークス(暴露)した点は、非常に重要だ。>判り切っている事のようだが、案外多くの国民は、未だに判っていないのである。

 

忖度 (推察) が問題の中心ですね。

 

>米国の意向に何らかの形で反論、乃至は逆鱗に触れた政治家は、彼の祖父である鳩山一郎も石橋湛山も重光葵も田中角栄も本人も小沢一郎も、その多くが、米国の手により政治的打撃を蒙ったか、官僚マスメディアらによって総攻撃を受けたのである。>この事を書き始めたらきりがないのでやめておく。

 

バカ殿さまのご乱行には、ご家老たちも黙っていられませんね。 この種の時代劇は、当分続きそうですね。

 

>しかし、このような米国支配から、幾多に亘り多くの政治家が迫害を受けたにも関わらず、それを唯々諾々と受けとめる日本人と云う存在は、“何なのだろう”と云う大きな疑問が残される。

 

そうですね。日本人には、意思が無い。受動があって、能動がない。諾々と受け止めるより外仕方がない。

 

>単に山本七平の「空気」だけで説明するのも安直過ぎるのだろう。

 

日本人は、その場の空気を読む。相手の顔色をうかがう。歌を詠む。これらは、全て忖度 (推察) の働きによる。忖度は、本人の勝手な解釈であり、現実の世界とは関係が無い。現実直視に欠けているという批判には、’だって、本当にそう思ったのだから仕方がないではないか’ と答えている。だから、議論はできない。解っちゃいるけど、やめられない。

 

>原爆投下の非人道性について米国内で宗教団体を中心に論議盛んだった時、その鎮静化に成功したのがトルーマン大統領とマサチューセッツ工科大学総長のカール・テイラー・コンプトン氏だった。>このコンプトンと云う人物が的確に日本人について述べた言葉を孫崎亨氏は「日本は事実上、軍人をボスとする封建組織の中の奴隷国だった。一般人は、一方のボスの下から他方のボス占領軍へ。彼らにとってこの切りかえは、生計が保たれていければ、別に大したことではないのである」と語っている。

 

そうですね。日本人の心配事は、全て処世術 (現実) の範囲内ですね。

 

>このコンプトン氏の、日本人を小馬鹿にしたような言動に腹立たしさを感じつつ、一抹の不安も憶えないものでもない。>鎌倉幕府時代からの、日本における庶民の生活を思うにつけ、もしかすると正鵠を得ているのかもしれない、と云う不安である。

 

そうですね。不安は解消しないといけませんね。

 

>徳川幕府の圧政の中でも、農民職人商人は強かに生きていた。>支配者が信長でも、秀吉でも、家康でも、庶民は平気だった(笑)。

 

自由とは、意思の自由のことである。意思が無ければ、折角の自由にも意味がない。不自由を常と思えば、不足なし。

 

>この歴史的経緯の中に、日本人の生命力のルーツがあるのかもしれない。>コンプトン氏に言われると腹立たしいが、日本民族には、隷属に堪え得る免疫力が備わっている可能性を感じる。

 

そうですね。可能性を感じますね。日本人には、意思を表す手段がない。これは、アニマルも同様である。我らの責任といえば義務ばかりで、牛馬同様の苦しみがある。生命力がある。

 

>この事は、どんな時代でも生きていける逞しい生命・生活力はある事を示しているが、哲学・思想・理念と云った類には、カラッキシ興味がない民族だと云う方向性も示している。

 

そうですね。無哲学・能天気ですね。

 

>しかし、筆者などは、その逞しさが政治を劣化させると考えるわけで、此処で納得してしまう訳にはいかない。(若干、無理をしている(笑))

 

逞しさが先か、政治音痴が先か。

 

>“誰が支配者だって生きていければ良いじゃないか”と云う日本人から脱皮しても良い時代が来ているような気がする。

 

そこで、‘天皇が支配者だ’ と言えば、安心しますね。

 

>世界中の国が、自分の足で立ち、自分の意志で生きて行こうとしているのに、“平穏な隷属なら、支配者が誰でも構わない”はもうやめても良いような気がしている。

 

日本人には、意思 (will) が無い。意思は未来時制の文章内容であり、日本語文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本人には意思が無い。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思が無いのでは、諦めるより外に仕方がない。だから、分かっちゃいるけど、やめられない。

>-----------------------------------------------------------

>以上です。 

 

 

 

 


閲覧数525 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/01/16 11:22
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