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2018年01月18日(木) 

 

>「日本/権力構造の謎」(カレル・ヴァン・ウォフレン著、早川書房)を読んでます。>やっと”上”が終わって、”下”に入ったところ。>まさに名著です。これは必読書ですね。

 

そうですね。必読の書ですね。

 

>「何故に日本人は権力に対して、トコトン従順なのか?」と言う疑問に応えてくれています。>歴史をさかのぼっての膨大な資料に基づく、論理的な視点での分析、日本人には書けない内容だと思います。

 

そうでしょうね。日本人には書けませんね。

 

>私が今一番感じている言葉は、「儒教をベースにした”服従の哲学”」が日本人の意識の底にあること。

 

我々は、仏教徒であって、儒教徒ではないはずでがね。

 

>そして、中国のように”革命につながる天命思想”が欠如していること。

 

中国は、儒教の国でしょう。孔子は中国人ですね。

 

>どちらかと言うと、朝鮮・韓国のコテコテの儒教思想の”二番煎じ”が日本人の生活哲学にあること。

 

そうですね。日本語と韓国語には、階称 (言葉遣い) がありますからね。中国語には階称がありません。

 

>韓流(王朝物)で、必ず、問題が発生したときに、臣下が一番に発する言葉が”私を殺して下さい”である。>「親に孝、君に忠」が色濃く出ている、”服従哲学”である。

 

言語は、考え為の道具ですからね。我々日本人が、世俗的な ’ものの上下’ に従うのは、避けられないことです。

 

>私も長年サラリーマン生活をして来たが、結局はインフォーマルな”人間関係”で事を解決することが多かった。>それも理屈抜きの”主従的な関係”を活用することも多かった。

 

そうですね。’上意下達’ で決着を図るのですね。

 

>それが嫌で仕方なかったが、やむを得なかった。

 

仕来りに反抗すると、非国民になりますね。

 

>「日本/権力構造の謎」は、本当に日本人の意識の底にある、行動原理、生活哲学を的確にえぐり出している。>今、福島原発事故で、とてつもない災厄に見舞われている”日本人”、海外(本当は日本のマスメデイア)から”冷静で秩序を乱さない行動”と褒められている。

 

日本人は、無哲学・能天気ですからね。

 

>一方、無能無策で、公然と犯罪的行為を繰り返す菅政権、これにも”冷静?”な日本人。

 

意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には意思が無いので仕方がない。だから諦める。無為無策で、座して死を待つ。

 

>これらは、私たちの意識の根底に、”服従の哲学”が染みついているからなのだ。決して是認できることではない。

 

とはいえ、我々の言語から ‘ものの上下’ の判断を取り除くことは難しい。’長い物には、巻かれろ’ か。

 

>また、同書では、”服従の哲学”が繰り返し染みつくように、日本社会の仕組み”システム”が作られている、と言う。

 

そうですね。我々の礼儀作法も序列作法になっていますからね。’上とみるか、下とみるか’ の判断なしには、我々は礼儀正しい日本人にもなれません。

‘人を見損なってはいけない’ という観念は、我々の強迫観念の域に達しています。そうでなければ、日本人の生活は成り立ちません。

 

>それは、国民に真実を知らさないこと、異を唱える人間を仲間外れに(或いは抹殺)すること。

 

日本人は、現実直視を好みませんからね。ともすれば、忖度 (推察) に耽ります。忖度は、自分勝手な解釈です。他人に責任は有りません。現実無視を非難すれば、’だって、本当にそう思ったのだから仕方がないではないか’ と反論されます。だから、議論にはなりません。孤高の人です。

 

>そして、権力者と国民の関係は、”権力者の慈悲で、国民が恩恵を享ける”関係である。決して、権利・義務の関係ではない。ルール遵守の法治主義でもなく”恣意的な超法規主義”。

 

権力者と国民の関係は、飼い主と家畜の関係ですからね。現実的でわかりやすいです。権利・義務の関係は哲学 (非現実) です。無哲学・能天気の民のには馴染みません。’あるべき姿’ の内容は、日本語脳の中には入りません。それは、考え (非現実) の内容だからです。

 

>法律無視で、傲慢な、菅政権や官僚たち、行政の振舞を見れば納得がいく。

>現在、”服従の哲学”を有効ならしめているのが、権力による”情報独占”と”超法規的な生殺与奪権”である。本質的には”システム”(官僚等)独裁である。

 

そうですね。縦社会においては、横社会の常識は、通用しませんね。東は東、西は西か。

 

>直接的な”服従の哲学”の推進者は、官僚支配のもと、マスメデイアと検察(裁判所はオプション?)だろう。

 

日本人には意思 (will) が無い。意思は未来時制の文章内容であり、日本語文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本人には意思が無い。優柔不断・意志薄弱に見える。

官僚も、マスメディアも、検察も能動ではなくて、受動で動いています。意思が無いのだから、きわめて自然に動いています。

 

>”服従の哲学”から抜け出す第一歩は、”真実を知る””公然と意義を唱える””行動する”だろう、と思う。

 

上の者は傲慢、下の者は服従ですね。我々は、セットになって生きています。’ものの上下のルール’ (階称) がなくならないと、我々は、服従の哲学から抜け出すことはできませんね。

 

>マスメデイアの情報独占に対して、本掲示板や、阿修羅、岩上サイト(IWJ)などネットメデイアが、風穴を空けつつある。”日本のアルジャジーラ”の出現ももうすぐだろう。

 

根本的な原因を理解しないと、改革運動も軌道に乗らないでしょうね。

 

>我々も”静かな日本人”のまやかしに乗ることなく、”意義を唱え””繋がり””行動”を広げていきましょう!

 

そうですね。そうなると良いですね。英語と日本語の勉強が必要ですね。

 

>-----------------------------------終了 

 

 

 

 


閲覧数523 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/01/18 01:13
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