>これまでの義務教育だけでなく高等教育まで無償化するとの検討が進んでいることであるが、これに関して私自身はどうもすっきり納得できないでいる。>それは、勉学意欲があろうとなかろうと高等教育の場に該当年代の若者を一律に押し込んでしまう恐れが多分にあるからだ。
高等教育を受けるかどうかは、個人の自由意思に任せられているのではありませんか。
>私は貧困家庭出身であるがゆえに意欲があっても教育を受けられない人には必ず適切な手当てをする必要があるのは当然だと思っている。>しかし、明治時代の学制創成から今日まで義務教育は日本人として社会生活を送るために必要とする基礎的な技能知識を幼少期につけて社会に送り出すことであったはずである。
そうですね。基礎的な技能知識は最低限のことでしょう。
>それ以上に高度な専門的知識技能が必要な場があることから、意欲があって基礎能力の高い人を対象に高等教育制度を設けたと思う。>その目的があったからこそ、当然高等教育を受ける人には入学試験を受けてその能力と意欲が試されて合否判定をしてきた。
そうですね。入学志望者の選抜試験が行われました。
>ところが、この部分にまで無償化、すなわち義務教育の延長を持ち込むと、勉学意欲のない人にとっては迷惑であるとともに時間の無駄使いであり、加えて国家財政の多大の浪費になってしまう。
無償化、すなわち義務ではないでしょう。無償化であっても、高等教育を受けるかどうかは個人の自由です。ですから、勉学意欲のない人にとっての迷惑ではありませんね。学生は国の宝です。我々は、考える人にならなくてはならないでしょう。そうでなければ、烏合の衆です。我が国は、先進国とは言えませんね。
>要するに水を飲みたくない牛馬を水場に連れて行って無理矢理飲ませようとするようなものだ。
強制ではありませんね。学習はあくまでも個人の自由です。
>一方、勉学意欲のある人にとっては玉石混交の教育現場で学習進度の低下とモラル低下を起こす恐れまで出て、結果的に将来に役立つ立派な人材の養成にブレーキをかけることになると思う。
それは、考えすぎでしょう。勉学意欲のある人は、自分自身で学習を進めるでしょうね。高等教育に落ちこぼれ対策はないですね。
>私はここで、「学習意欲のあるなし」によって差別を求めているわけではない。
各々が学習意欲の湧く道に進んだらよいでしょう。
>学校生活において学習意欲がないとは言え別の分野で高い能力を持った人はいくらでもいる。
そうですね。学校生活においても分野別ですね。
>そのような人にとっては退屈で窮屈な学校の教室で興味もない画一的な授業を受けるのではなく、その人にマッチする別の選択をした方がより逞しく有意義な人生を送るチャンスがあると思う。
個性を伸ばすのであって、高等教育の授業は没個性・画一ではないはずですね。
>むしろ、そのような人にユニークで素晴らしい成功を収めた人がたくさんいる。>すべての日本の子供たちが日本の宝物であることに間違いはない。
そうですね。同感です。
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