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2018年02月05日(月) 

 

 

>◆大学進学率増大ともに入試問題が奇妙化していった

(略)

>戦後でもまだ最初の頃は、出題形式において、わざと難しくするような、奇を衒っているような、入試の為の入試といった問題形式は、特に広まってはいない。

 

そうでしょうかね。

 

>入試の為の入試という形になって、入試問題の奇妙な形式的変化が現れるのは、団塊の世代として、ベビーブームの波によって日本で子供の数が急激に増えてきて、社会は高度成長の波に乗り、大学進学者数が増えてきた段階に生じてきたものである。>受験のための受験という形で、大量の進学希望者を捌くために、出題内容の奇妙な形式的難問化として進行した。

 

そうでしょうね。

 

>受験とは、極度に難しくなる、そこだけの、そこだけでしか通用しない近視眼的な知識の世界、その形式的世界を形成していった。

 

あくまでも上下の差を求める形式ですね。必要悪なのかな。

 

>入試問題の形式とは、日本人が背負った奇妙な無意識的発明の形式となっていく。

 

序列メンタリティによる発明ですね。

 

>◆欧米との違い

>大学の入学試験は、受験志望者の増大によって難易度を高くしてきた。

 

難易度が高ければ、差がつきやすいですからね。

 

>日本の大学制度で特徴的なのは、入試の時点でその階級的なランクを殆ど決めてしまうということにある。

 

日本人にとっては、何よりもランクが大切ですからね。身分格式の世の中への回帰ですね。

 

>つまり大体18歳から20歳くらいと想定される大学入学の時点で、その後の、労働力商品としての価値を決めてしまう。

 

日本人の求めているものは、哲学ではなくて、実学 (技術) ですからね。技術者の商品価値には着目していますね。

 

>最初に価値の指数を決定してしまう。

 

何事も、見ればわかる世界 (現実) に集約されていますね。考え (非現実) は、見ることが出来ない。だから、日本人には価値が無い。知的財産を考える事は難しい。

 

>こうして、日本の大学とは、入るのだけがやたら難しく、しかし入ったらもう勉強しなくても、学生の社会評価が特に落ちるということもなく、卒業後の労働市場に出て行くという現象が定着してしまった。

 

考えが目的になっていないから、学生の社会評価が特に落ちることはありませんね。民は、明盲のようなものか。

 

>これは大学制度の近代的に発達していた欧米の大学制度とは異なるものであった。>ヨーロッパの伝統的な、長い大学制度に起源をもつ欧米の大学とは、まず入学時点で、そんな難解な入試形式が課せられ、過度の、それだけのための知識競争が行われるというようなことはない。>有り得ない事態である。

 

あなたは、ヨーロッパの伝統に詳しいですね。歌詠みではなく、考える人の存在が重要ですね。

 

>欧米の大学では、入学の時点では学生はアバウトに入ってくる。

 

勉強は、してみなければ分かりませんからね。

 

>学生の真価として、学生の価値が決まってくるのは、大学に入ってから個人が如何に自分で勉強をしたかということであり、最終的な学生個人の価値とは、その後の本人の努力にかかっている。

 

そうですね。当然ですね。しかし、日本人には勉強の仕方が分からない。

 

>故に、欧米の大学では、大学を途中で移動するということは頻繁に行われており、一流大学と呼ばれるような大学であっても、最初からそこの生徒であったということは別に意味を為さない。>いろんな学校の経路でもって、下の段階から様々な通路で卒業資格を目指して、大学を渡ることによってキャリアを積み重ねるという在り方とは、普通のこととして通っている。>日本のように、最初に入った大学でそのまま最終学歴を終える数が殆どだというのとは違う。

 

日本人は序列形成が人生の目的ですから、移動したら自分たちの序列の外に出てしまいますね。元も子もない。

 

>◆空虚な受験システム

>入口のところでその後の価値も大体決めてしまうという、形式的排除の方法論において、このシステムは日本の特徴的な性質を決めてきたといえるのだ。

 

縦社会の伝統ですね。相撲界の枠組みの様なものですね。自由な参入は考えられていない。

 

>日本の大学受験形式が、そこでは受験独特の受験の為の受験といった複雑怪奇な問題形式を、形式主義的に生み出し、しかもこの奇妙で非合理的な形式主義は、人間の形式的排除の方法として、入口だけがやたらに難関で、しかし中に入ったら中味はほぼ空虚という、キャリアの通過の方法を編み出したのだ。

 

考える人を育成するのでなければ、大学は形式主義に陥りますね。日本人は内容を考えるよりも、形式を考える方が得意ですね。

 

>最初の時点で、個人における大枠の価値付けを決めてしまう。

 

そうですね。没個性的ですね。自由な参入が無ければ、安心できますね。お変りが無ければ、天下泰平です。

 

>この形式的難関だけがそこには口を開いているのであって、中に入っての出来事とは、ほぼ空虚である。

 

形式的難関もなければ、すべてが空虚になってしまいますからね。

 

>やってもやらなくても卒業資格の価値においては殆ど関係ない、意味を為さないという、体制である。

 

意味を求めているのではなく、体制の方を求めているのでしょう。無哲学・能天気ですから空しいですね。

 

>しかしこの形式的空虚の体制を実現してきたという意味で、それはとても日本的に特徴的な、独特の社会システムとなり、機能していたのだ。

 

世俗の上下というものは、そうしたものでしょうね。憂世は浮世ですね。それ以上のものでも、それ以下のものでもありません。

 

 

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閲覧数463 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/02/05 10:41
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