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2018年02月08日(木) 

 

>よく、「質」より「量」が大事という話を聞く。>だけど、これに関しては、前提を間違えると、ただの時間の浪費になってしまうと思ってる。>というのも、大事なのは「思考」の量であって、「作業」の量ではないから。

 

思考の量は大切ですね。

 

>僕の経験上、「作業」をいくらこなしても、能力はなかなか上がらない。>そう思うようになったのは、僕の“ある経験”がきっかけだ。

 

作業中は、人に話しかけたり、考え事をするのは危険ですね。手先・目先から注意力がそがれます。

 

>15年前、僕はある音楽サイトの企画で、100日で100曲を仕上げるという企画に挑んでいた。>仕事が終わったら、毎日深夜0時から朝の4時くらいまでを使って、必死で曲を作った。>で、なんとか、100日で100曲作れた。

 

大成功ですね。

 

>すごい達成感だった。・・・そう、達成感だけはすごかった。>多くの人が「100曲も作ったのだから、さぞかしすごいノウハウを蓄積したでしょ?」と言ってくれた。>でも、僕はその声には明るい返事ができなかった。>なぜなら、自分の中で、何か特別なノウハウが蓄積できたように思えなかったからだ。>むしろ、“ラク”をして“早く作る”ことを憶えてしまっていた。

 

世はスピード時代ですからね。

 

>たしかに、音楽制作ソフトの使い方は飛躍的に早くなったし、ある程度の曲ならすぐに作れるようになった。>でも、自分の作曲のセンス、すなわち「質」が上がったとは、これっぽっちも思えなかった。>今思えば、それは、おそらく「作業」の量だけをこなし、「思考」の量をこなさなかったことが原因だ。

 

そうですね。粗製乱造というところですかね。

 

>「作業」をたくさんこなすのは危うい。>なぜなら、偽りの達成感があるから。>量をこなせば、なんとなく、自分は仕事ができるような気になる。

 

我が国は、ただいま人手不足である。だが、頭脳不足ではない。もっと頭脳を使うと、人手不足も弱まるかもしれない。

 

>こなすべきは「思考」だ。>たくさんたくさん考える。>そうすれば、やがていろいろなことが言語化でき、腑に落ちるときがくる。>そして、それが「質」を作る。

 

そうですね。そうなると良いでね。しかし、日本人の精神活動は文章内容や言動にはならないでしょう。心から心へと直接相手に伝えられます。以心伝心・不立文字

 

>ただ、思考はなかなか形にならない。>何も生み出してくれないときもある。>だから、達成感は少ない。

 

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。

 

>でも、だからといって「作業」の量に逃げてはいけない。>思考停止してはいけない。

 

そうですね。我が国には、’考える人’ が必要ですね。

 

>「思考」にこそ「量」を求めるべきだと思う。

 

知的労働量の増産が必要ですね。

 

>だって、「質」をつくるのは、圧倒的な「思考」の量だから。>「作業」の量は質を作ってくれない。

 

そうですね。

 

>あなたは「思考」の「量」をこなしていますか?

 

はい。そのように、努力しております。

 

> (引用終) 

 

 

.

 

 

 

 

 

 


閲覧数1,098 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/02/08 21:10
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