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2018年02月22日(木) 

 

>21世紀の先進国に求められるのは、牧師で言えば、自分が宗教をつくるとしたらどのような教義にするかというところまで考えられる人材です。

 

聖人たちは、昔から考えていたことですね。

 

>新たな付加価値を創り出す人材を何人抱えているかによって、国家の力が決まる時代になっているのです。

 

そういうことになりますかね。

 

>そして、クリエイティブな人材は、「大量生産型」の教育では生み出すことができません。

 

そうですね。ご唱和の練習ばかりでは、創造力は育成されませんね。一億総玉砕の様な選択肢のない国の方針は危険ですね。

 

>たとえば今、自分がイエス・キリストに生まれ変わったら何を言うか。>モハメッドになって再びこの世に降臨してきたとして、1500年前に自身が説いた教えをどう変えるか。>豚肉を食べてはいけないと言ったけれど、冷蔵庫のある世界ならまあいいでしょう、などというように。>こういうことを考えるのが、実は21世紀の教育なのです。

 

皆さん考えていたのではありませんか。だがしかし、誰一人として、個人の考えを相手にするものはいなかったのとちがいますか。

 

>みんなが自分なりの答えを出していくけれども、唯一の正解はない。

 

‘嘘・本当?’ の形式の問いではないのですね。’自分なりの答え’ とは、’考えの内容’ のことですね。考えは一人ひとり違いますから唯一の正解にはなりませんね。

 

>マイケル・サンデル教授 の講義がなぜ人気なのかと言えば、「答えがないから」です。

 

答えは、いくらでもあるのではないですか。

 

>たとえば「死刑について考えよう」とテーマを設定し、誰かが意見を述べれば「君の意見は大したものだ。それも一理ある」と応じる。>別の誰かが正反対の指摘をすれば「その点が重要なんだよ、君」と言う。

 

意見は、人人によって違いますからね。矛盾のない考えは、すべて正しい。だから、正解は、一つではない。議論も楽しめるのではないですか。

 

>「サンデルさん、あなたはどう思うの」と問われても「私は司会者です」という姿勢を崩さない。

 

彼は、人から教えを乞われる立場の人ではないでしょうね。

 

>要するに、最後まで「正解」を示さないのです。

 

正解は、いくらでもあるからでしょう。

 

>これが、まさに21世紀型の教育です。 

 

そうですね。我々日本人には生き延びる努力が必要ですね。 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を下の段落に掲げます。

 

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

 

 

 

 

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閲覧数465 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/02/22 23:24
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