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2018年03月02日(金) 

 

>体育>最後に体育について言及しよう。>体育イメージ昭和の40年代まではスポーツクラブに入って、早朝、放課後、休日を問わず練習に専念する学生は頭が空っぽで、本も読まず知性もない、という評価が漠然とあった。>何も差別的な見解を強調しているわけではなく、単に当時は知的であることが一般的に今よりも高く評価されていたという事実を伝えたいだけだ。

 

その知性の方も大したものでも無かったのでしょう。

 

>当時のスポーツ選手も自分が知的でないことを謙虚に受け入れ(実際はそうでもなかったのだが)、偉そうなことを言ったり尊大な態度を取ることはなかった。>では今と何が違うのか。>今の世の中は社会的風潮として、有名になって金さえ儲ければ人間の中身など問題としないという風潮がある。

 

拝金主義ですね。

 

>あらゆる分野、あらゆる活動において金が優先され、金を持っていれば他の事は大目に見られ、許されてしまう。>そこで知性だの精神性などと言うと、ダサイ、ウザイと見られてしまう。

 

昔風ということですね。

 

>こうした傾向に拍車をかけているのがマスコミだろう。>教養もなければ礼儀作法も知らない若者をタレントとしてテレビにどんどん出し、愚かな視聴者に優越感を味わわせて視聴率を得る。>こうして無知が市民権を得るようになった。>有名になって金を儲けた人たちを毎日テレビで見せられ、それに憧れる若者たちが教養を身に付けることよりも、単に有名になること、あるいは有名な人と結婚することだけを夢見て虚しく過ごしているかも知れない。

 

大衆文化の普及ですかね。

 

>体育の話に戻るが、いったい何をもって格闘技や走ることや跳ぶことに価値を置いているのだろうと疑問に思ってしまう。

 

ひとえに健康のためでしょうね。

 

>いくら強い格闘家になっても所詮オラウータンやゴリラに勝てはしない。>早く走るならチーターに勝てはしない。>高く飛ぶなら蛙のように自分の身長の何倍も跳ぶ生き物に勝てはしない。>いったい人間として彼らは何を求めているのだろう。

 

アニマル相手の競争ではないようですね。あくまでも人間相手の金メダルを求めているのでしょうね。

 

>私はスポーツ自体が馬鹿げていると言っているのではない。>趣味として、あるいは健康や気晴らしとしてするのは有用だと思う。

 

健康第一ですからね。末永く続くことでしょうね。

 

>しかしそれが生活のほとんどを支配し、金儲けという目標まで付いてしまっては、いったいこれでいいのかと思ってしまう。>実はこれも支配者の思う壺と言わざるを得ない。

 

それは、うがった見方ですね。無哲学・能天気の民は、支配者に打って付けですね。

 

スポーツに夢中になる者を増やし、それを観戦する熱狂的なファンを増やし、一般大衆を日本の現状や世界の情勢、人生の意味などについて考えることから遠ざけようとする支配者の策略に見事に嵌っていると見做せるからだ。

 

我が国民の無哲学・能天気は、今に始まったことではありませんからね。政治哲学とは初めから無縁ですね。

 

>教育水準が上がった先進国では、支配者にとって一般大衆はただ仕事のためにだけその知識を活用すればいいのであって、冷静に物事を考え、支配者の意図することを見抜くようなことになっては困るからだ。

 

これは、衆愚政治ですね。’考える人’ になるのは難しいですね。

 

 

.

 

 

 

 

 

 


閲覧数71 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/03/02 23:01
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