1,373万kW/1,762万kW (04/20 18:35)
77%
2018年03月09日(金) 

 

 

>「日本/権力構造の謎」(カレル・ヴァン・ウォフレン著、早川書房)を読んでます。>やっと”上”が終わって、”下”に入ったところ。まさに名著です。>これは必読書ですね。

 

そうですね。

 

>「何故に日本人は権力に対して、トコトン従順なのか?」と言う疑問に応えてくれています。

 

日本人は、序列秩序に慣らされているために、権力に対しても従順になりますね。

 

>歴史をさかのぼっての膨大な資料に基づく、論理的な視点での分析、日本人には書けない内容だと思います。

 

そうですね。一般の日本の評論家には、書けないでしょうね。

 

>私が今一番感じている言葉は、「儒教をベースにした”服従の哲学”」が日本人の意識の底にあること。

 

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあって、日本人の心は ‘上と見るか・下と見るかの判断’ に馴染んでいます。だから、服従の義務も当然のことと考えられますね。

 

>そして、中国のように”革命につながる天命思想”が欠如していること。

 

中国語には、階称 (言葉遣い) がありませんからね。序列作法が民間に徹底することはありませんね。

 

>どちらかと言うと、朝鮮・韓国のコテコテの儒教思想の”二番煎じ”が日本人の生活哲学にあること。

 

そうですね。韓国語と日本語には、階称 (言葉遣い) がありますからね。上下判断は、生活哲学 (処世術) に成っています。

 

>韓流(王朝物)で、必ず、問題が発生したときに、臣下が一番に発する言葉が”私を殺して下さい”である。

 

それは、情けないメンタリティですね。それで、解決するのですか。

 

>「親に孝、君に忠」が色濃く出ている、”服従哲学”である。

 

ものの上下に基づく作法ですね。

 

>私も長年サラリーマン生活をして来たが、結局はインフォーマルな”人間関係”で事を解決することが多かった。

 

そうでしょうね。法廷闘争にはなりにくいですね。

 

>それも理屈抜きの”主従的な関係”を活用することも多かった。>それが嫌で仕方なかったが、やむを得なかった。

 

‘長い物には巻かれよ’ ですね。私も、嫌いですね。どうかして、打開したいです。

 

>「日本/権力構造の謎」は、本当に日本人の意識の底にある、行動原理、生活哲学を的確にえぐり出している。

 

そうですね。よく勉強していますね。

 

>今、福島原発事故で、とてつもない災厄に見舞われている”日本人”、海外(本当は日本のマスメデイア)から”冷静で秩序を乱さない行動”と褒められている。

 

意思が無ければ、方法 (仕方) が無い。無為無策でいるしかない。冷静で秩序を乱さない行動というのかな。

 

>一方、無能無策で、公然と犯罪的行為を繰り返す菅政権、これにも”冷静?”な日本人。>これらは、私たちの意識の根底に、”服従の哲学”が染みついているからなのだ。

 

序列作法は、日本人の礼儀作法になっています。処世術全般に及んでいます。

 

>決して是認できることではない。

 

人間は、言語を使って判断しますからね。言語が違えば、その結論も違ってくる。我々は、ウォルフレン氏の結論には到達しません。

 

>また、同署では、”服従の哲学”が繰り返し染みつくように、日本社会の仕組み”システム”が作られている、と言う。

 

そうですね。服従が過不足なく成り立っていますね。

 

>それは、国民に真実を知らさないこと、異を唱える人間を仲間外れに(或いは抹殺)すること。

 

日本語は、曖昧な言語ですからね。ご唱和は明らかになる。それ以外は闇になる。

 

>そして、権力者と国民の関係は、”権力者の慈悲で、国民が恩恵を享ける”関係である。

 

そうですね。恩は上から降りてくる。

 

>決して、権利・義務の関係ではない。

 

日本は縦社会ですから、横社会の仕来りは存在しないですね。

 

>ルール遵守の法治主義でもなく”恣意的な超法規主義”。

 

そうですね。日本人には意思 (will) はありません。しかし、恣意 (self-will) はあります。超意思・超法規の社会でしょうね。

 

>法律無視で、傲慢な、菅政権や官僚たち、行政の振舞を見れば納得がいく。

 

‘下におれ。下におれ’ ということでしょうね。

 

>現在、”服従の哲学”を有効ならしめているのが、権力による”情報独占”と”超法規的な生殺与奪権”である。

 

民は之によらしむべし。之を知らしむべからず。これで、やるしかない。

 

>本質的には”システム”(官僚等)独裁である。

 

官僚の裁量権によるものですね。

 

>直接的な”服従の哲学”の推進者は、官僚支配のもと、マスメデイアと検察(裁判所はオプション?)だろう。

 

上意下達の原理に従わせる手段ですね。上下判断はわかる。だが、理性判断 (rational judgment) は分からない。

 

>”服従の哲学”から抜け出す第一歩は、”真実を知る””公然と意義を唱える””行動する”だろう、と思う。

 

我が国は、高文脈文化の国ですからね。’真実を知る’ ことは難しいですね。日本語は、曖昧な言語です。言葉以外に状況や文脈も情報を伝達します。重要な情報でも言葉に表現されないことがあります。

‘公然と異議を唱える’ ことも難しいですね。日本人の想いは、バラバラな単語 (小言・片言・独り言) のまま放置される言語環境にあります。歌詠みの様なものです。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、バラバラな単語でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

‘行動する’ のも、また難しいですね。日本人には、意思が無い。意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には、意思が無い。優柔不断・意志薄弱に見える。

意思のない所には、方法 (仕方) が無い。だから、行動には出られない。

 

(略)

>我々も”静かな日本人”のまやかしに乗ることなく、”意義を唱え””繋がり””行動”を広げていきましょう!

 

そうですね。我々も自分たちの文化をもっと深く掘り下げて、問題の解決方法を見つける努力をしてゆきましょう。

>-----------------------------------終了 

 

 

 

.

 

 

 

 

 

 


閲覧数561 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/03/09 22:38
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
のがさん
[一言]
■最近のアルバム
■最近のファイル
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このアルバムのURL
https://www.sns.ochatt.jp/blog/blog.php?key=1198592