>◆古くからの日本の文化が五感を磨く >五感を感じられる最たるものは、俳句かもしれません。>松尾芭蕉の有名な句、「古池や 蛙飛びこむ 水の音」。>この句は、世界の人々が驚き、感心するそうです。
そうでしょうね。俳句は、音楽、絵画、彫刻などと同じように、非言語による表現であり芸術ですね。この場合、句 (文章を構成することのない語群) は通常の言語の役割を果たすことなく、非言語の材料のようなものになっていますね。塑像における、粘土の役割を果たしていますね。
>映像や、音や匂い、寂々とした空気感。>短い言葉なのに、何となくイメージが湧いてきます。
そうですね。忖度 (推察) を存分に働かせることのできる領域ですね。
>俳句、茶道、花道、舞踊、座禅、和歌、浄瑠璃…。>日本人は、そうした活動の中で余白を感じ取ったり、行間を読んだり、相手を虜る感性だったりを磨いてきたのではないでしょうか。
そうですね。日本人は、非言語 (nonverbal) の世界の達人ですね。一億総芸術家ですね。
>◆世界で通用する日本人の「気づかい」の心 >フロリダディズニーのジャパンパビリオンで、キャンディーアートをしている日本人女性。>彼女は「世界中の子どもに幸せを配る」というコンセプトを持って飴を無料で配っています。
日本人に特に適した仕事ですか。
>しかし、飴をほしがる子どもの中には、内気で正直にほしいと言えない子どもがいることも。
言語機能を十分に発揮できない子供もいるでしょうね。
>彼女はその微妙な空気を感じ取り、ほしいと言えない子にも飴を渡してあげるのです。
彼女は、日本人の得意とする忖度 (推察) を活用して、仕事をしているのですね。
>基本的にアメリカは自己主張する子が評価されますが、日本は違います。
そうですね。自己主張は通常、言語を使って行われていますね。文章内容は論理的ですね。 全ての考えは、文章になります。文章にならないものは、考えではありません。 日本人には、意思がありません。意思は、未来時制の文章内容ですが、日本語文法には時制というものがありません。それで、日本人には意思がありません。優柔不断・意志薄弱に見えます。 意思のあるところに方法 (仕方) はある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には、意思が無いから仕方がない。だから諦める。お変わりのないことが、何よりなこと。 意思を通して自己主張すれば、未来社会の建設も可能になります。We can change! ですから、アメリカでは自己主張する子供は、その創造性・積極性を高く評価されます。
>それは、仕草、雰囲気、その人からにじみ出てくる気持ちを感じ取る能力が備わっているから。
空気を読んで対処するのですね。論理に関係が有りませんね。個人的なことですね。
>ディズニーは日本流の気づかいを仕組みに組み入れようとしましたが、彼らでさえ吸収することはできませんでした。
気遣いは忖度であり、忖度は個人の勝手な解釈ですね。であれば、忖度を仕組み (論理) に組み入れることは、難しいでしょうね。
>それほど、精神的な文化というのは仕組み化が難しく、真似できるものではないのです。
そうですね。忖度という非論理は、仕組化という論理では捉えられないでしょうね。非言語であるベートーベンの音楽の様なものかもしれませんね。 .
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