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2018年05月11日(金) 

 

>『国体論 菊と星条旗』 著・白井聡 >最近、北朝鮮と韓国の南北首脳会談がおこなわれ、65年間休戦状態であった朝鮮戦争を終結させ、朝鮮半島の非核化と平和体制実現に向けて進むことで合意した。>この東アジアにおける戦後史を画する動きは、日本人にとっても、かつての大戦と戦後をどのようにとらえ、どのような未来を切り開いていくかを突きつけている。

 

無哲学・能天気な日本人にとっては、その答えは難しいでしょうね。

 

>京都精華大学専任講師の著者が4月に著した本書は、その意味で示唆に富んでいる。 >本書は明治維新以降の日本の「国体」、つまり権力構造を概観している。>注目すべきは1945年の敗戦によってそれがどのような根本的変化を遂げたかを明らかにしていることだ。

 

日本語を基礎とした考え方は、敗戦によっても根本的な変化はなかったという事でしょうね。

 

>根本的変化とは、天皇のかわりにアメリカが権力を握ったことであり、民主化だけをやったと見せかけて、天皇制というピラミッドは残したままその頂点にアメリカが鎮座したことである。

 

そうですね。日本人の序列メンタリィティ (考え方)  は不変ですね。

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。

‘上と見るか、下とみるか’ の世俗的判断が習得できなければ、日本語会話も自由には出来ません。日本人生活も成り立ちません。

日本式礼儀作法も、序列作法になっています。上下判断なくして、我々は礼儀正しい日本人にはなれません。序列なきところに礼儀なし。

‘人を見損なってはいけない’ という想いは、日本人にとって強迫観念の域に達しています。権力者が天皇からアメリカに成り代わっても、日本人の序列メンタリティには、何ら違和感を生じません。我らは、相も変わらぬ序列社会に生きています。それが、日本人の精神に大切な安定をもたらしています。

 

>戦前の「国体」は、「万世一系」の天皇を頂点にいただく専制君主制国家であった。

 

そうですね。我が国は、序列メンタリティを持つ国民により成り立つ序列国家でしたね。

 

>天皇制政府はアジアに対する侵略戦争から対米戦争へと突き進み、日本人320万人、中国やアジアの人民1900万人という膨大な犠牲者を出したあげくに破滅した。

 

本当に残念な戦争でした。破滅の責任者も出なかった。とかく、この世は無責任。

 

>そして1945年8月、天皇制政府は「国体(天皇の国家統治の大権)護持」を唯一の条件として敗戦を受け入れた。

 

我が国民の序列に対する執着は強いですからね。臣民の命は、どうでもよいのでしょう。だから、一億総玉砕を考えた。

 

>1946年に新憲法の審議をおこなった帝国議会でも、当時の首相・吉田茂は、新憲法によって国体は「毫も変更せられない」と主張した。

 

序列メンタリィティは 強固ですね。吉田茂には、その自信があった。

 

>しかし、1950年のサンフランシスコ講和条約の締結、それによる「日本の主権の回復」「国際社会への復帰」は、ファシズムの温床となった軍国主義の除去と体制の民主化、つまり国体が根本的に変更されたと認められることで可能になった。

 

そうですね。’めでたし・めでたし’ でしたね。

 

>これに「国体は毫も変更せられない」と宣言した同一人物が調印した。

 

彼の日本語脳に迷いはなかったでしょう。

 

>ここには重大な欺瞞があった。>新憲法で「主権者が天皇から国民に移動した」とされたが、実際には占領下での主権は移動しようにも日本側にはなく、アメリカが握っていた。>主権は天皇からマッカーサーに移動したのである。

 

序列メンタリティの観点からすれば、この重大な欺瞞は、何ら問題にすることにも当たらないのでしょう。

 

>それは、戦後日本の武装解除を決定した権力と同じ権力が、1950年の朝鮮戦争にさいして、一切の民主主義的プロセス抜きで一片のポツダム政令によって、再軍備(自衛隊の前身である警察予備隊の創設)を命令したことにもあらわれている。

 

上意下達ですね。論理の矛盾は、日本人には一向に気にならないことである。われわれは、ご都合主義に生きている。

 

>そして、サンフランシスコ講和条約は、同時に結ばれた日米安保条約とワンセットであった。>安保条約でアメリカが要求したのは「我々が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」であった。

 

日本人には意思が無い。意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には、時制 (tense) というものが無い。だから、未来時制も無く、日本人には意思が無い。それで、日本人は優柔不断・意志薄弱に見える。

 

>著者によれば、戦前戦中の保守支配層は、かつてみずから主導して「鬼畜」と呼んだ相手に膝を屈し、とり入ることで復権の機会をつかみ、それとひきかえに自発的に主権を放棄した。

 

そうですね。日本人には、意思が無い。だから、自己の主導権には執着しない。長い物には、巻かれろ。これが我が国民の処世術ですね。意思が無ければ自発もない。自主もなければ、独立もない。何も不思議なことは無い。

 

>革新陣営はアメリカの民主化を支持することで補完的な役割を果たした。

 

大政・小政になった気分ですね。日本人の独りよがりか。

 

>この国家主権の構造は占領終結で終わらず、日米安保体制として現在まで続いている。

 

日本人は続いている。日本語脳は続いている。主権の構造も続いている。何事もお変りの無いことが良いことでしょうね。

 

>それを象徴するのが、1959年に最高裁判決が出た砂川事件である。>一審では「日米安保条約は憲法違反である」とする伊達判決が出た。

 

これは、大変なことですね。我が国は政権が倒れ、経済封鎖をかけられて、また戦争をしなくてはならなくなる。

 

>これに飛び上がったのがアメリカで、当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世は伊達判決を無効化するよう、外相・藤山愛一郎や最高裁長官・田中耕太郎に圧力をかけた。

 

アメリカ人は、理屈の分からぬ人ではない。日本人は、大変なことをしでかした。

 

>最高裁は「米軍の駐留は憲法の趣旨に反しない」「日米安保条約のように高度な政治性を持つ条約については、違憲かどうかを司法が判断することはできない」との判決を下した。>この判決は、駐日米大使から指示と誘導を受けながら書かれたという事実がある。

 

兄貴分からの直接的な指示ですね。この種の国内の混乱は、国際的な混乱を呼び起こす恐れがある。

 

>この判決で、日本の法秩序において、日米安保条約が日本国憲法に優越する構造が確定された。

 

そうですね。お変わりないことが何よりのこと。’めでたし、めでたし’ ですね。

 

 

 

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閲覧数945 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/05/11 18:46
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