1,403万kW/2,039万kW (03/29 21:30)
68%
2018年08月20日(月) 

 

 

>学歴が色濃く残っている国。

 

>私は普段塾で働いています。>アルバイト時代を含めると14年塾講師をしています。>そこでいつも疑問に感じるのが学歴を気にする保護者が多いという事。>昔に比べると減ったかな?とは感じますが、気にする保護者がまだ残っている。

 

 学歴への関心は、消えることはないでしょう。日本人の精神そのものですから。

 

 >実際、私は大卒ですが、決していい大学とは言えません。>しかも大学時代はあまり勉強もせず、アルバイト・クラブばっかりをしており、大学も留年をしています。>5年目のときには卒業に必要な単位の半分しかもらえず、卒業見込みももらえていない状態・・・ >そういった状態なので、就職活動のときは「卒業見込み」と履歴書に書けない状態でした。

 

あなたは、情けない状態でしたね。

 

>ただ何か就活の時に苦労したかというと全くでした。>むしろクラブを頑張った経験等のほうを評価してもらった記憶があります。>そして大学5年目のときに就職先も見つかり、必死に勉強を頑張り大学を卒業することができました。

 

良かったですね。

 

>そこから10年以上(転職あり)働いていますが、何か留年したことや、学歴で苦労したかというと全くです。>大学は出ていますが、今の会社では学歴はないほうです。>ただそこに対して突込みが入ったり、大学名を聞かれたことは皆無です。

 

あなたの学歴に関する問題は何もないのですね。

 

 >そのことを考えると本当に大学に行くのが正しい選択なのか?なぜ保護者はそこまで学歴を気にするのか?と常に疑問に感じます。

 

 我々の人間序列に関する想いは、強迫観念になる程度ですからね。

 

 >私の周りはそこまで学歴が変わらない人が多々いますが、普通に生活をしています。

 

 その強迫観念の程度は、グルーブによっていろいろと違うのかもしれませんけれどもね。学歴が、役に立つ・立たないという実利の次元ではなく、もっと我々に対する精神的なものですね。

 

>むしろ結婚もして家も買って・・・裕福な生活を送っているものも多くいます。

 

 学歴は、個人の経済状態を保証するものではありませんね。

 

>逆に学歴があって仕事ができないな・・・と思う人もいますし、(もちろんその逆もありますが・・・)>その人に聞くと逆に学歴があるがために苦労をしているという話も聞くぐらいです。>学歴があるがために「知識しかないんじゃないの?」「人の気持ちが本当に分かるの?」などを思われると言っています。

 

精神的な悩みはいろいろですね。

 

>他にもネットで見ていても「学歴が必要」という意見が出てきたりもしますが、多くの意見が「学歴があって困ることはない」「あるにこしたことはない」など多く、具体的な内容があるものは少ないです。

 

 そうですね。具体的な内容はないでしょう。ほとんど、精神的なものですね。

 

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。’上とみるか・下とみるか’ の判断は、日本語会話に必要です。これを無視すれば、日本語は上達しません。外国人の日本語学習者にも難しいようです。

 

‘人を見損なってはいけない’ という想いは、日本語の脳裏で脅迫観念の域まで高められています。ですから、世俗的序列の順位はぜひ頭に入れておく必要があります。日本人の礼儀作法は、序列作法に基づいています。世俗的な序列を心得ていなければ、礼儀正しい日本人になることもできません。序列なきところに礼儀なしです。

 

 >また企業によっては履歴書に学歴を書く欄がなかったり、エイベックスは志一括採用という採用方法を取っており、新卒採用を中止。誰でも応募可能な状態になったりもしています。

 

採用方法をどのように変えても、我々の日本語に基づく判断は変えられませんね。

 

 >時代は学歴不問の傾向に確実に変わっていっています。

  

英米流の高等教育は、我々日本人にぜひとも必要ですね。そうでなければ、人間は無哲学・能天気になります。

 

>当たり前の話だが、学歴で仕事をするわけではないのです。

  

教養 (哲学) のない人が、高度な職業人になることは危険です。彼には、話が通じないからです。周囲の人の理解も得られずただ独断専行する人は危険です。

 

>就職してからは人間性・コミュニケーション能力・スキルが必要なのです。

 

そうですね。同感いたします。

  

>その当たり前のことに気付いてほしいと思う日々です。 

  

日本語の階称 (言葉遣い) に問題があります。階称は、我々の序列社会の成因です。序列競争の弊害の元になっています。このことに気づいてほしいですね。

英語には、階称がありません。我々は、日本語と英語の両言語を学んで、階称のない言語での考え方を学ぶ必要があるのではないでしょうか。さすれば、我々の学問が序列形成による弊害により侵されていることが、理解できます。この努力が、わが国の進歩の糸口になることに疑いがありません。

 

 

 

.

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数603 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/08/20 05:31
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
のがさん
[一言]
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このアルバムのURL
https://www.sns.ochatt.jp/blog/blog.php?key=1200219