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2009年11月06日(金) 
 ある雑誌を読んでいたら、子供が関係する記事が二つ。

一つは「子供の目線」という言葉が大キライ!という人。

これは子供の賢さや鋭さは幼稚なレベルだと決めつけて、大人がほどほどの力で接しようとする態度だからそうです。

 「どうせ子供だから…と」子供の大人に対する期待を失わせるものであり、大人の手抜きや嘘を子供はお見通しで、人間不信を植え付けるだけだという。

 言葉の解釈は私の解釈と全く逆だが、大人の態度の批判には異論なし。


子供の欲求を受け止めることが大事だと主張する別の記事。

 ある勉強嫌いの子供の質問「先生! どうして僕らは9教科も勉強せなあかんの?」に対して
「人類が長い間かけて築き上げてきた文化を伝承し、さらに発展させていくための基礎が9教科にわけられているのだよ」と答えるか、
「決まっていることだからしょうがない」と答えるか。

 後者は子供の欲求に答えていない、このような答は、こどもの成長の芽を摘むを阻害するものである。欲求をむき出しにする子供に対して、忙しさにかまけて「うるさい」とシャットアウトしてはいけない。大人の努力に報いようと子供は彼らなりに対応に努力してくれるものだ。


 子供に説明しても判らないだろう…との立場と、判りにくい内容を判るように話す努力をする立場。後者が子供の目線に立った態度だと私は思っています。

 子供の目線に立てば、大人の立場では見えなかったものが見えてくる。しゃがんで、自分の目の位置を子供の目の位置に揃えて周りを見てみよう。世の中のものはみな自分より大きく高圧的であったり、理解できなかたりすることだらけ。

 これを大人がかばってくれたり答えてくれたりしないなら、大人とは頼りにならないものと諦めるでしょうし、今後の大人への見方が左右されるでしょう。

 他人の目線からものごとを見るべきなのは、別に子供相手の場合だけではない筈です。夫は妻の、妻は夫の、いがみ合っている人たちはその相手の、目線で自分を見てみることが必要でしょう。また世を拗ねている人の場合は、その人の目線で世を眺めてみると理解できる筈です。人の目線でものを眺めることは、その人をよく知らないとできないでしょうから、人を知る機会にもなるでしょう。


 言葉の解釈に違和感を憶えてここまで書いてきましたが、平凡で当たり前の結論になってしまいました。しかし折角書いたので、没にしないでおこう。

そこで追記;

何年か前、早朝の尾瀬で熊に遭遇しました。熊がUターンして逃げて行きました。
http://www.sns.ochatt.jp/modules/d/diary_view.phtml…09&m=9
熊の目線から見れば薄暗い所に背の高い巨人(橋の上に立っていた我々夫婦。二人とも背は低い)が二人立っている…と見て逃げたのでしょうね。状況は判りませんが、その後に近くで熊に襲われた人がいました。

 イソップに出てくる牛の前でお腹を膨らませる蛙も、牛の目線で見ようとして失敗しましたが、場合によっては有効なこともあるのでは?




WEDGE 11月号 
「大人の手抜きは子供に見透かされています」 高見のっぽの紹介記事
「子供の欲求は生きることの源泉」    比嘉昇


閲覧数533 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2009/11/06 10:10
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