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2010年04月17日(土) 
   先月当たりから後援会に入って欲しいとの依頼が時々。知人が付き添って来たり知人からの電話・手紙だったりする時には格別断る理由のあるケースでない限り(知らない人ばかりだから、理由がある訳がない)OK。しかしあとで何と言う人が何になるのを後援したのだったか、これまでに何人の後援会に入ったのか、記憶なし。

   月末になって投票所の入場券が送られてきて、アレ!何かの選挙があるみたいだね…。葉書には書いてある筈だが眼鏡の直して見るのも面倒。

   今月に入って、市会議員の選挙公報が配られて来ました。ハハア、私は市会議員立候補者の後援会に入ったらしいな。

   公報に目を通しましたが、1頁に複数の候補者の公約が書かれている。表現や意気込みこそ違え、内容に大した相違はない。子供、高齢者、医療・財政など…。これでどうやって特定の候補者を選べばいいのだろう。どこかで公開演説会があるとも書いていない。選択不可能。

   家の前を名前を連呼して行くような無意味なことをやる候補者には投票しない戦術で行こうと思っていましたが、五月蠅いだけで名前がよく聞こえず、候補が絞れない。

   各候補者が現在の市の問題点を列挙し、自分はこのような立場からこれとこれは無視し、これを重点的にやりたい、このような方法でやればこれこれの理由で充分実現の可能性がある、必要予算はこれこれ…などと他の候補者との相違点を事細かに、A4の用紙数枚に書いてくれて、質疑応答にも応じてくれれば、誰に任せたいか私も喜んで検討できるのですがね。今の状態では検討不能。全候補者の事務所を訪ねて質問する手もありますが、そこまでの熱意もない。

   検討しないで投票するのは投票権を軽んじた不真面目な投票となることは確実。字面に惑わされて決めるよりはサイコロを振って決める方が、全候が等確率になるだけ失敗の可能性が少ないように思える。しかし、それでは投票の意義がない。

   明日の投票に行かないことにあれこれ屁理屈をならべて自己弁解しています。

閲覧数1,064 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2010/04/17 16:23
公開範囲外部公開
コメント(2)
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  • 2010/04/17 19:58
    korochanさん
    そうですか

    比較対照の余地がない時は、「寝たふり」「死んだふり」に
    限るのかもしれません。

    つい先日の京都知事選も盛り上がりに欠けてましたー
    現知事を、自民、民主、(何とか)と3つが推薦してたとか
    選挙に行かなくっても、勝負は見えてました。
    次項有
  • 2010/04/18 01:16
    鉛筆コッチさん
    korochanさん

    自分の行動が何も変化をもたらさない時は、それはムダな行動です。ただ変化とは、選挙の場合は誰が当選するか…だけではなく、投票率の問題や自分の精神意欲への影響も含めるべきでしょうが…。

    総選挙や地方選挙において投票は義務である…との意見もありますが、私は権利であって、決して義務ではないと思っています。

    さらに言えば、政治をよくすることは、これは周囲の人のためへの奉仕としての義務だろうな…とも思います。

    選挙制度に問題がある時、それに批判し、カイゼン提案をするべきでしょう。提案をまとめて署名運動を起こし、周囲を揺り動かす所までやれば言うことなしですが、小さな声であってもいいから周囲に意見を述べることでも少しでも義務を果たしたことになるのではないでしょうか。

    ムダな投票に行くよりは、ここでブツブツ言っているほうがまだマシでは…?

    何か言い訳に言い訳を重ねてしまったような気もしますね。
    次項有
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