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2011年10月26日(水) 
しばらくして、娘は退院した。
医師によると「病気の進行が、ストップしている」のだそうだ。

完治といえるわけではないが、病状に変化がないため、
「もしまた症状が進行するようなら、もう一度来てほしい」
と言われ、いったん退院となったのだ。

娘は今までとまったく変わらない生活をし、成長していった。

娘は、病気のことは知らない。
ただ「ちょっと具合が悪くなったから入院した」としか考えていない。

それでいい。
娘が苦しむ必要はない。

苦しむのは、私だけでいいんだ。

◆ 

しかし私には、予想外のことがあった。

味覚を失うこと。
それは想像より、ずっと苦痛だった。

何を食べても、味のない粘土を噛んでいるような気分になる。
そのため、食事のときの喜びが0になる。

くわえて腐った食べ物であるか分からないため、不安ばかりが強くなる。

すると、食事そのものが、苦痛でしかない。

そんなときは、娘を見ることにした。
病気のこともなかったかのように、毎日すくすくと育っていく娘。

それを見ていると、その苦痛を忘れられた。

◆ 

娘の病気の治療法が開発されたかどうか。
私は毎日のように、医師に電話をして聞いた。

しかし答えは、いつも「NO」だった。

いつしか私は、病気のことを忘れていった。

娘は、治っているんじゃないか?
タイムリミットなんて、ないんじゃないか?

少しずつ、そう考え始めていた。

◆ 

それが甘いことを感じたのは、娘の15才の誕生日だった。
娘は前とまったく同じように、腹部をおさえて苦しみだした。

「お父さん…。痛いよ…。痛いよぅ…」

その言葉や表情が、私の心を、再び「現実」に引き戻した。

もう、選択肢はなかった。

毒を食らわば皿までだ。

私は再び、その質屋に向かった。

◆ 

「あら、お客様。ご無沙汰しておりました」

女のビジュアルは、あのときとまったく変化がなかった。
いや、黒い衣服、髪、そして目は、さらに深い黒さを増していたように見えた。

「…また、質入れされますか?」

女がそう聞く。
前の思考の流れから、次に失う感覚なら、一つしかない。

「嗅覚で頼む」

女は、静かに微笑む。

「…承りました。ではお望みの方の寿命、さらに5年、延ばさせていただきます」

◆ 

娘はまた元通りの生活に戻った。
これで娘の寿命は、20才まで延びた。

もうこれ以上延ばすことは、簡単にはできない。

残る、3つの感覚。
視覚、聴覚、触覚とも、安易には失えない。

今からの5年で治療法が開発されなかったら、どうなるのだろう?

暗闇か。無音か。無触覚か。
どれかを選ばなければならない。

最初の二つのように、すぐに選べるものではない。

その5年は、娘にとっても、私にとっても、重大なタイムリミットだった。

◆ 

においのない世界は、想像以上につらかった。

「アロマセラピー」というものがある。
人間に香りをかがせることによって、気持ちを落ち着けたりする治療法だ。

それに限らず、人間はニオイを嗅ぐことによって、安心や快感を得たりする。

綺麗な話ではないが、時に脚のニオイや、ワキのニオイを嗅ぎたくなってしまうことだってあるだろう。
臭い香りであっても、人はニオイの刺激によって、安心するのだ。

さらに異性の香り、またシャンプーや香水の香りによって、気持ちが高まることだってあるだろう。

これらの働きが、まったくなくなるのだ。

毎日の生活にたいする刺激や喜びが、少しずつ失われて来るように感じる。
私は、聴覚があるにも関わらず、「世界から、音が一つ消えた」と感じた。

◆ 

娘の治療法は、いくら待とうとも、開発されなかった。

味と香りのない生活のつらさとあいまって、イライラすることが増えた。

また娘も、18・19になるにつれて、少しずつ私にたいして反抗しはじめた。
お互いにストレスを抱え、口論になることも、少なくなかった。

そのたびごとに、娘にたいして、言いようのない怒りを感じ始めた。

私は。
私は、誰のためにこんなに大変な思いをしていると思っているんだ。
私がどれだけ自分を犠牲にしていると思っているんだ。

すべて、お前のためじゃないのか!?

自分の献身的な行動が受け入れられないほど、つらいことはない。

私の人生そのものが、まったく意味のないもののように思えた。

もしこのまま治療法が発見されず、20才の誕生日を迎えたら。
また私は、さらに自分を犠牲にして、娘の命を延ばすことができるのか?

自信をもって、その問いかけに答えることができなかった。

私はワラにもすがる思いで、医師に電話をし続けた。
医師は言う。

「まだ見つかりません。しかしあと少しで…。必ず開発できるはずなんです」

「あと、どのくらいで?」

私の質問に、医師は答えた。

「…あと、10年弱の間には…」

それは、さらに二つの感覚を失うことを意味していた。

◆ 

娘の20才の誕生日を間近に控えた日、私は決心した。

もう、すべてを話そう。
どれだけ私が頑張ってきたかを。

そして、もうこれ以上続けることはできない、ということを。

娘もまもなく、20才になるだろう。
人生として、十分に味わったじゃないか。
もう、いいじゃないか。

これが、運命なんだ。

私は自分に言い聞かせるように、何度も同じ言葉を繰り返した。

「話がある」

私は娘を呼ぶ。
そのときだった。
娘は、こう言った。

「あ、あのね、私の話から、先に聞いてくれる?」

何だろう。
私は不思議に思いながら、話を聞く。

「あのね…」

娘は、しばらく言うのをためらいながらも、口を開いた。
恥じらいながらも、とても幸せそうな顔で、こう言った。

 

 
「お父さんに、会ってほしい人ができたの」

 

閲覧数839 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2011/10/26 09:52
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