しばらくして、娘は退院した。 医師によると「病気の進行が、ストップしている」のだそうだ。 完治といえるわけではないが、病状に変化がないため、 「もしまた症状が進行するようなら、もう一度来てほしい」 と言われ、いったん退院となったのだ。 娘は今までとまったく変わらない生活をし、成長していった。 娘は、病気のことは知らない。 ただ「ちょっと具合が悪くなったから入院した」としか考えていない。 それでいい。 娘が苦しむ必要はない。 苦しむのは、私だけでいいんだ。 ◆ しかし私には、予想外のことがあった。 味覚を失うこと。 それは想像より、ずっと苦痛だった。 何を食べても、味のない粘土を噛んでいるような気分になる。 そのため、食事のときの喜びが0になる。 くわえて腐った食べ物であるか分からないため、不安ばかりが強くなる。 すると、食事そのものが、苦痛でしかない。 そんなときは、娘を見ることにした。 病気のこともなかったかのように、毎日すくすくと育っていく娘。 それを見ていると、その苦痛を忘れられた。 ◆ 娘の病気の治療法が開発されたかどうか。 私は毎日のように、医師に電話をして聞いた。 しかし答えは、いつも「NO」だった。 いつしか私は、病気のことを忘れていった。 娘は、治っているんじゃないか? タイムリミットなんて、ないんじゃないか? 少しずつ、そう考え始めていた。 ◆ それが甘いことを感じたのは、娘の15才の誕生日だった。 娘は前とまったく同じように、腹部をおさえて苦しみだした。 「お父さん…。痛いよ…。痛いよぅ…」 その言葉や表情が、私の心を、再び「現実」に引き戻した。 もう、選択肢はなかった。 毒を食らわば皿までだ。 私は再び、その質屋に向かった。 ◆ 「あら、お客様。ご無沙汰しておりました」 女のビジュアルは、あのときとまったく変化がなかった。 いや、黒い衣服、髪、そして目は、さらに深い黒さを増していたように見えた。 「…また、質入れされますか?」 女がそう聞く。 前の思考の流れから、次に失う感覚なら、一つしかない。 「嗅覚で頼む」 女は、静かに微笑む。 「…承りました。ではお望みの方の寿命、さらに5年、延ばさせていただきます」 ◆ 娘はまた元通りの生活に戻った。 これで娘の寿命は、20才まで延びた。 もうこれ以上延ばすことは、簡単にはできない。 残る、3つの感覚。 視覚、聴覚、触覚とも、安易には失えない。 今からの5年で治療法が開発されなかったら、どうなるのだろう? 暗闇か。無音か。無触覚か。 どれかを選ばなければならない。 最初の二つのように、すぐに選べるものではない。 その5年は、娘にとっても、私にとっても、重大なタイムリミットだった。 ◆ においのない世界は、想像以上につらかった。 「アロマセラピー」というものがある。 人間に香りをかがせることによって、気持ちを落ち着けたりする治療法だ。 それに限らず、人間はニオイを嗅ぐことによって、安心や快感を得たりする。 綺麗な話ではないが、時に脚のニオイや、ワキのニオイを嗅ぎたくなってしまうことだってあるだろう。 臭い香りであっても、人はニオイの刺激によって、安心するのだ。 さらに異性の香り、またシャンプーや香水の香りによって、気持ちが高まることだってあるだろう。 これらの働きが、まったくなくなるのだ。 毎日の生活にたいする刺激や喜びが、少しずつ失われて来るように感じる。 私は、聴覚があるにも関わらず、「世界から、音が一つ消えた」と感じた。 ◆ 娘の治療法は、いくら待とうとも、開発されなかった。 味と香りのない生活のつらさとあいまって、イライラすることが増えた。 また娘も、18・19になるにつれて、少しずつ私にたいして反抗しはじめた。 お互いにストレスを抱え、口論になることも、少なくなかった。 そのたびごとに、娘にたいして、言いようのない怒りを感じ始めた。 私は。 私は、誰のためにこんなに大変な思いをしていると思っているんだ。 私がどれだけ自分を犠牲にしていると思っているんだ。 すべて、お前のためじゃないのか!? 自分の献身的な行動が受け入れられないほど、つらいことはない。 私の人生そのものが、まったく意味のないもののように思えた。 もしこのまま治療法が発見されず、20才の誕生日を迎えたら。 また私は、さらに自分を犠牲にして、娘の命を延ばすことができるのか? 自信をもって、その問いかけに答えることができなかった。 私はワラにもすがる思いで、医師に電話をし続けた。 医師は言う。 「まだ見つかりません。しかしあと少しで…。必ず開発できるはずなんです」 「あと、どのくらいで?」 私の質問に、医師は答えた。 「…あと、10年弱の間には…」 それは、さらに二つの感覚を失うことを意味していた。 ◆ 娘の20才の誕生日を間近に控えた日、私は決心した。 もう、すべてを話そう。 どれだけ私が頑張ってきたかを。 そして、もうこれ以上続けることはできない、ということを。 娘もまもなく、20才になるだろう。 人生として、十分に味わったじゃないか。 もう、いいじゃないか。 これが、運命なんだ。 私は自分に言い聞かせるように、何度も同じ言葉を繰り返した。 「話がある」 私は娘を呼ぶ。 そのときだった。 娘は、こう言った。 「あ、あのね、私の話から、先に聞いてくれる?」 何だろう。 私は不思議に思いながら、話を聞く。 「あのね…」 娘は、しばらく言うのをためらいながらも、口を開いた。 恥じらいながらも、とても幸せそうな顔で、こう言った。 「お父さんに、会ってほしい人ができたの」 |