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2013年10月15日(火) 
   8月に書いたままアップしないで忘れていたメモが出て来ました。

   天に還った魂が家族のもとに帰ってくるのがお盆。まずはお墓にお帰りになる。

   ということは平素は仏壇やお墓はお留守なのですね。それでもお供えをやったり、お線香をあげたりした方がいいのかしら。

   迎え火とはお墓に帰ってきた先祖を、自宅に迎えるための目印としてお墓から家まで灯すものだそうな。送り火はその逆。

   私のお墓と家は300キロほど離れており、途中に迎え火を置いていないが、迷わないかしら。私の見る限り、迎え火は家の前でしか灯されていないようだから、お墓を飛ばして家に直行されるのかな。

   認知症となり、自分の子供も判らなくなり、施設で亡くなった人が自分の墓や家がどこでにあったのか、そこら中に灯された迎え火の内、どれが自分用の迎え火なのか判断できるのでしょうかね。家にお帰りになる目的は?もう憶えていない家族に会うため?

   認知症なんて、現(うつつ)の世において仮に宿った人体での問題であって、魂には認知症はない? しかし、五感・神経(記憶手段)を持たない魂には物事を認知する能力はあるのかしら。魂同士の触れ合いで全てが判るのかしら。 

   家にお帰りになるのはいつまでなのでしょう。会ったこともない子孫の元に。33年か50年経つともうお帰りにならない? 神と一体化され、個別化の状態ではなくなる?

   永代供養供養という制度がある。之個別はの魂の供養ではない?

   日本の伝統行事として後世に伝えていくことに、私には何の異論もありません。美しくしくゆかしいイベントに思えます。しかし、全てを理屈で結びつけるのは難しそうですね。

   多分、いろんな習慣の寄せ集めだろうから、全体を通して一つの論理で説明は難しいだろうし、必要でもないでしょうが。

閲覧数1,269 カテゴリ日記 コメント6 投稿日時2013/10/15 06:11
公開範囲外部公開
コメント(6)
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  • 2013/10/15 09:48
    わさびさん
    すべては、現世の人の為の儀式だと思います。
    気持ちの拠り所?

    ご先祖様を敬う気持ちは大切だけど、儀式でがんじがらめにしたり、
    インチキな商売にしたり・・・これも現世の人間の行いだったりで。

    ほんとうのところは・・・わかっているけれど
    そうすることや、想うことで気持ちが納得するのでしょうね。
    次項有
  • 2013/10/15 10:06
    おはようございます。

    わさびさんと同感、現世の人の心の持ちようかと。
    でも私は楽しんでやってます。
    その時期には掃除したりお供えしたり人が集まったりと
    非日常的なざわめきもいいものです。

    迎え火と送り火は、防火も考えてLEDローソクにしました。
    停電にも役に立つかと~現実的です(笑)
    次項有
  • 2013/10/15 17:40
    イアンさん
    コッチさん

    理系のあたまの良さは先刻承知ですが、文章も上手いね。
    愉しく読ませて貰いました。
    けど、面白いのはやはりコッチさんらしい理詰めの運び・・・。
    次項有
  • 2013/10/15 22:22
    鉛筆コッチさん
    わさびさん

       私の死後、子孫を見守ってやろう…とか、そろそろお盆だから家に帰ろう…などと考える知覚がどこかに残っているなどとは私には考えられません。

       またあの世からこの世にお盆はこのように用意し欲しい…という依頼があった…なんてことも考えられません。

       その前提で考えるとお盆の行事は当然にこの世で作り出されたものです。行事に格別問題はないように思うので、皆がそれで落ち着くなら大いにやればいいのではないでしょうか。それを食い物にする人がいても、とんでもない程のものでなければ大目に見たい…と私は思っています。

      夜の涼しいさの中で迎え火や送り火が揺らいでいるのは優雅で美しいものです。


    次項有
  • 2013/10/15 22:32
    鉛筆コッチさん
    よっちゃんさん

    こんばんは!

       逝った人を偲びつつ提灯を出して来てほこりを払ったり、仏壇を掃除してお花を飾ったり…、それは楽しい行事だと思います。

       回忌の法事って滅多に会わない人たちと何年か越しに会うのも目的の一つでしょうね。

       迎え火や送り火がLED! これは私にはちょっと味気ないような…。仏様は気にしないでお帰りになりましたか?
    次項有
  • 2013/10/15 22:39
    鉛筆コッチさん
    イアンさん

      いくら褒めて頂いても何も出ませんよ!

      世の中は理屈だけで処理できるものではないようで、情緒の方が重要なのかも知れません。
    次項有
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