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2010年10月20日(水) 
   今月13日のニュース。ES細胞による臨床実験が開始されたとか。脳や脊髄の神経細胞を保護する役目を持つ細胞をヒトES細胞から育て、脊髄(せきずい)が損傷を受け、運動機能に大きな障害が起きている患者の損傷部分に注入するのだそうな。

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20101012-OYT1…T00010.htm

   ES細胞は受精卵から作られるので、カトリックでは反対運動。ES細胞は人としての命を持っているから、それを破壊することは殺人になる…と云うことだろうと推測します。しかし体外受精においては卵子を余分に受精させるので、余ったものは廃棄されているとか。廃棄するなら使った方が…。カトリックの人は廃棄のことはご存じかどうか。

   人工授精にも反対だそうだから矛盾はなしか。IPS細胞で同じことが出来れば問題は消える。

   【人工中絶】はもう胎児として成長した段階での実施ですからこれは立派な人間の廃棄であり、カトリックでは当然に反対。流産(妊娠22週未満)で胎児が生きている時はどうするのだろう。保育箱で安全に育つのかしら。場合によっては生かさない方が、本人も周囲も幸せにも思える。

   【安楽死】:これはカトリックは検討中であるが答えは出ていない。本人や家族の依頼により致死量の麻薬や筋肉弛緩剤を注射すると検察はまだ殺人罪として動くのかしら。検察の問題…と云うよりは、立法問題かな。

   【脳死による臓器移植】;これはカトリックは認める方向のようだ。脳死後は生命体ではない…との考えだと思われる。



   次々に新しい方法が出てくると、宗教の指導者ちは可否を決めるのが大変だな…などと笑っていてもいいのかしら。自分の子供や孫が脳死した時、臓器提供するかどうか、鉛筆を転がして決めてもいいが、後悔しないように今からちゃんと考えておかなくっちゃあ。

   4歳で脳死後21年間生き続けた(表現に問題ありそう)例があるそうだ。勿論自己呼吸能力はないから人工呼吸器から切り離しは不可能だが、栄養を点滴だか胃瘻だかに依ると推測するが乳歯が永久歯に換わり、髭も生え、汗をかき、うんちも出(自力排出はできないと思われるから垂れ流しだろうね)、顔色よく、身体も温かい。勿論脳は死んでいるから早くに溶けてしまっているそうだが。

   移植されるべき臓器はこのような状態に維持される必要があるが、21年間見守って来た親はつらいでしょうね。

   それを聞いて未成年者からの臓器移植に対する考え方を変えた人がいるようだが、私には浅はかに思える。臓器は摘出されるまで持ち主(成年と未成年にかかわらず)の顔色がいい状態に保たれる必要がある。未成年の方が心停止まで日数がかかる例があること、それまで成長が続く事以外になにも差違はなく、命の有無を考える時には区分することはない。感情的に気になりやすいことは理解するが。

   どこからを死とするか、医学的には明朗に一つの定義して貰わないと困るが、個人としてはそれとは独立に各自に決めてもいいようには思います。心臓が動いている間は生きているのだ…と。

   確かに目に見えるかどうかの小さい受精卵に命を認め、活き活きとした脳死青年には命を認めない…とは感情的には違和感があるが、それが命の定義なのでしょうね。

   50何年か昔、ソ連で犬の首のすげ替えに成功した…とのニュースを読んだ記憶がある。何日くらい生きたのか知らないが、犬の個体はどちらに就くのでしょうね。やはり首が主体で、首のすげ替え…との表現は誤りで、胴体の交換…と云うべきでしょうね。意図不明の残酷実験。共産党独裁政権下の異常社会だからこそ行われたと言えるのかも。

閲覧数585 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2010/10/20 00:34
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