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身の震えるような「お年玉」
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2007年01月07日 01:09
日経新聞 2007/1/4
スポーツコラム「チェンジ・アップ」
野球評論家 豊田泰光

身の震えるような「お年玉」

 小さい頃は家に余裕が無く、父の土建業の景気がよくなったと思ったら戦争ということで、お年玉をもらった記憶がない。あのころもらっていたら、どんなにうれしかっただろう。
 逆にお年玉をあげる大人にとって、今は困難な時代かもしれない。少ない子供の面倒を、何人もの大人がよってたかってみているものだから、お年玉といっても少々のことでは喜ばれない。
 時期は正月ではなかったが、一度身の震えるようなお年玉をもらったことがある。
 プロに入ったころ、父が病に倒れ、弟妹合わせて6人の面倒をみるのにきゅうきゅうとしていた。ある遠征を前に、すっかりお金がなくなった。朝起きて、どうしたものかと思案しながら、ふと財布をみると空だったはずのところに五千円ほど入っていた。
 世話になっていた料亭のおかみがさりげなく入れておいてくれたのだった。プロとしてそれなりの年俸をもらった時期もあるが、私自身お金に淡泊だったせいか、ほとんど記憶にない。なのにあの五千円だけは忘れない。
 当時私は球団の寮を出て、福岡市内の料亭で寝泊まりしていた。経営者夫妻がファンで、何より栄養がしっかりとれるのが、野球選手の居候先としておあつらえむきだった。そのおかみは私の腹の減り具合のみならず、懐具合も見通していた。
 ああいう気持ちのこもったお金に対するお金に対するお返しは難しい。五千円戻しても、返したことにはならないような気がして、私は親しい会社の経営者らをせっせと連れて行き、常連客とした。
 娘さんが継いだその店に、今でも通っており、もう五十年の付き合いになる。お孫さんに野球も教えた。すべてあの五千円の縁。大金でなくとも、心が通ったお金というのは千円でも二千円でも、ずっと記憶に残り、値打ちを失わないもののようだ。
 さて、今まで何年も子供や孫にお年玉をあげてきたが、どれだけ覚えてくれていることやら。私の締まりのない財布からこぼれ出る一方のお金だったから、その辺は全く自信がない。

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