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城南高校の「昭和46年卒(S27年4月-S28年3月生)の修学旅行」
「昭和46年卒(S27年4月-S28年3月生)の修学旅行」の書込一覧です。
昭和46年卒(S27年4月-S28年3月生)の修学旅行
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2013年04月06日 14:50
トピック「城南高校卒業生の足跡」のNo.25のつづきです。

昭和46年卒は誰も見てないみたいですが、そのうち誰かの目に止まることを期待して、修学旅行の録音テープの内容を紹介します。紹介に先だち旅行を概観するために当時の旅行冊子を見ると、
■編成、催行日
第1団 181名(1-4組)    昭和44年10月22日(水) - 27日(月)
第2団 274名(7,9,10-13組) 昭和44年10月23日(木) - 28日(火)
第3団 184名(5,6,8,14組) 昭和44年10月23日(木) - 28日(火)
■日程 (+++国鉄 ===バス ___船)
第1日 学校6:30===神戸港____別府港===22:20観海寺泊
第2日 観海寺8:30===地獄めぐり===九重高原===阿蘇山===17:30内牧泊
第3日 内牧7:30===高千穂峡===延岡===堀切峠===青島===18:00宮崎泊
第4日 宮崎8:30===萩の茶屋===えびの高原===敷根===袴腰___鹿児島===17:00鹿児島泊
第5日 鹿児島9:00===池田湖===長崎鼻===指宿===島津別邸===西鹿児島+++車中泊
第6日 ++++12:15京都(京都駅解散)

なんたる大所帯。今ではこんな団体旅行は見られないでしょう。私の記憶では、とにかく長い間バスに乗ってました。でも、旅行の録音テープを聴くとみんなテンションが高く、歌って騒いで楽しかったです。クラスの結束も高まり、高校3年間で一番印象深いクラスになりました。

書き込み数は6件です。
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Re: 昭和46年卒(S27年4月-S28年3月生)の修学旅行
【返信元】 昭和46年卒(S27年4月-S28年3月生)の修学旅行
2013年05月22日 08:59
すばらしい記録と音源です!!!同じクラスで無くとも胸が熱くなります。ほんとにもうアラカン世代ですから、どなたか早くここに来てほしいと思います。私は、旅行委員であったのですが、バスの中が、ばらばらで、何とかするのが、旅行委員だろ?とたしなめられ、同じ班の級友が、「がんばってるのわからないんですか!」と反論。次の日から自分なりに盛り上げようと頑張ったのもありますが、なぜかまとまり、結婚でに最後のお仕事だったガイドさんも私たちも一つになったのを思い出します。素晴らしいおもいでになるこのテープ。スゴイ宝物ですね?よくやられましたと、感心し、感動しています。


どなたか、所在わかれば、教えたいですが・・・。二年のHATAKEさんのクラスの中に、れんらくできるのは、たぶん3年10組の中にHATKEさんと同じ二年の時のクラスメートがいらっしゃたら、親友に伝えて、連絡は出来ると思います。そのときは、彼女のクラスの卒業アルバムの列、アルファベットでもおしえてくださいね。もったいないです。このわたしでさえ、感動ですから・・・。「なっちゃんより」
Re: 昭和46年卒(S27年4月-S28年3月生)の修学旅行
【返信元】 昭和46年卒(S27年4月-S28年3月生)の修学旅行
2013年04月09日 22:58
引き続いて録音テープによる修学旅行の回想です。
修学旅行5日目が録音テープの何番と対応しているのかはっきりしませんが、テープNo.6の途中から5日目に入っているようです。5日目は、鹿児島、長崎鼻、指宿などを観光して回りました。このテープでは、中川(正)君のリサイタルが開催されています。曲は「山羊に引かれて」、「真夜中のギター」など。途中、前田先生がゲスト出演で「鹿児島小原節」、その日に同乗していた千阪校長も「真室川音頭」を披露されました。手拍子を交えてまるで宴会のような雰囲気ですが、高校生なので当然しらふです。
最後にバスは西鹿児島へ。ガイドさんとのお別れが近づいたところで、ガイドさんから2年9組の生徒への忠告というか印象について一言、「『はい』と『いいえ』をどこでも使えるように」とのこと。これに対して、林君が即座に「はい」と答えて受けを狙いましたがみんな沈黙。また、「このクラスは概しておとなしすぎる」との指摘でしたが、極端に騒がしいのが約2名ほどいるので、全体としては十分にバランスが取れています。ガイドさんの最後の挨拶の後、お別れにみんなで城南高校の校歌を歌いました。もう43年も経つので、私は今では校歌も忘れてしまってたのですが、この録音で思い出せました。忘れた人は、テープNo.7の初めから約3分の位置から聞けます。バスの席の前後でバラバラに歌ってますが、曲を思い出すには十分です。
 最後に、ガイドさんが、一番好きな歌「今日の日はさようなら」を歌ってくれました。そして、バスは西鹿児島に到着、ここで急行列車に乗り換えるために駅のホームに。ホームにはガイドさんも見送りに来てくれ、そこで、乗車前にみんなで「友よ」を合唱しました。発車のベルが鳴り、別れを惜しみながら京都への帰路につきました。
その後、車中泊、まったく眠れず、第6日目の昼頃に京都駅に当着、ここで解散となりました。
 電子化した録音ファイルをYoutubeに公開しています。No.1-7のファイルは全て未編集です。
テープNo.6 http://youtu.be/KF-CLKzONB0
テープNo.7 http://youtu.be/dNsAu3IGZP8 (完)
 録音ファイルの元のカセットテープは、昭和44年の2年9組・前田祐温先生のクラスの南九州への修学旅行のバスの中を録音したものです。当時はカセットプは殆ど普及しておらず、ダビングする術もありませんでした。今では電子化して簡単にコピーを渡せます。録音データの入手はYoutubeからも可能なようですが、コメント欄にコピー希望の旨(希望のファイル形式などがあればそれも)をお知らせいただければ、オンラインストレージからダウンロードできるようにします。特に元2年9組の方は必聴です。懐かしさがこみあげます。折しも、谷村新司が「リメンバー九州」のコマーシャルをし、自身の修学旅行の写真を披露しています。彼も同世代なんです。
http://www.jr-odekake.net/navi/cm/remember/remember.html
Re: 昭和46年卒(S27年4月-S28年3月生)の修学旅行
【返信元】 昭和46年卒(S27年4月-S28年3月生)の修学旅行
2013年04月09日 18:42
相変わらず、録音による修学旅行の回想です。
修学旅行4日目は、えびの高原へ向かい、霧島神宮を参拝し、次に桜島の溶岩道路を走り、船で鹿児島に入りました。4日目ともなると、長いバスの旅にみんな少々疲れ気味なのか、さすがに歌にも飽きたのか、テープでは生徒が歌っている場面は少なくなりました。一方、バスガイドさんは、自身の地元ということで、宮崎の説明に熱が入っています。宮崎の民謡を歌う声にも張りがあります。
「いもがらぼくと」という民謡に絡んで、宮崎の方言の説明。「いもがらぼくと」とは、芋がらで作った木刀という意味で、見かけとは違って気が弱く人がよい宮崎の男性のこと、「日向カボチャのよか嫁女」とは、日向カボチャのように色が黒いけれど愛嬌はとてもよい宮崎のお嫁さん、「ジャガジャガまこっちえれこっちゃ」とは、そうだそうだ全くその通りだ、という意味だとか。
バスが鹿児島に入ってくると、ガイドさんの民謡や方言の説明も、鹿児島民謡、鹿児島弁へと変わります。鹿児島弁の代表例は、「おまんさ~」=あなた、「よかにせどん」=好男子、「よかおごじょ」=美女、「おせどん」=お年寄り、「おかべ」=豆腐、「でこん」=大根、「ズバッ」=たくさん、だそうです。思うに、九州の方言は南に下るほど難解になり、何とか理解できそうなのは宮崎弁くらいまで。鹿児島弁は単語レベルでは解説を聞けばなんとなく理解できますが、鹿児島弁の会話となるともう聞き取り不能。外国語と同レベルです。
 録音テープを電子化してYoutubeにに公開しています。もとの電子ファイルをご希望の方は、コメント欄にその旨をお知らせ下さい。
テープNo.4 http://youtu.be/W18WorEg9EU
テープNo.5 http://youtu.be/SAvWVVlpNv8
(録音テープはNo.7まであります)
Re: 昭和46年卒(S27年4月-S28年3月生)の修学旅行
【返信元】 昭和46年卒(S27年4月-S28年3月生)の修学旅行
2013年04月07日 23:35
そのうち誰かの目に止まることを期待しつつ、録音テープによる修学旅行の回想を続けます。
修学旅行3日目は、高千穂峡から青島を経て宮崎に入りました。高千穂峡ではその神秘的な自然を感じ、青島では日南海岸の明るい開放感に浸ることができました。録音テープを聴くと、3日目にしても飽きずに歌を歌っていました。「若者たち」、「イムジン河」、「小さな日記」など、既に歌った曲です。ガイドさんによる九州の民謡が耳新しく聞こえます。録音テープによれば、いつの間にか林君のリサイタルが開催されており、「風」、「悲しみは駆け足でやってくる」、「今はもう誰も」、「あなたの世界に」など、林君の独壇場です。その合間に、ゲスト出演と称して、是金君が「カエルの歌」をマイクが壊れんばかりにゲロゲロ歌っていました。おかげでバスの心地よい揺れで昼寝していた人も目が覚めてしまったのでは。次のゲスト出演は、林君のリクエストにより前田祐温先生。曲は、前田先生の十八番「ままこ」です。先生は他の歌を歌いたいらしく不満そうでしたが、林君のリクエストに答えてこの曲と相成りました。更に続いてのゲスト出演は、女子生徒の岡本(孝)さん。岡本さんのリクエストにより、林君と「世界は二人のために」をデュエットすることになりました。相手が合唱部の岡本さんということで、林君は足を引っぱらないように少々緊張気味に、しかし嬉しそうに歌っていました。岡本さんはさすがに慣れたもの、低音パートを見事に歌いきりました。そうこうするうちにバスは日南海岸に抜け、海岸沿いに青島まで向かい、夕方には宮崎市内に引き返したのでした。

 録音テープを電子化してYuotubeに公開しています。もとの電子ファイルをご希望の方は、コメント欄にその旨をお知らせ下さい。
テープNo.3 http://youtu.be/KZphROg15qE
(録音テープはNo.7まであります)
Re: 昭和46年卒(S27年4月-S28年3月生)の修学旅行
【返信元】 昭和46年卒(S27年4月-S28年3月生)の修学旅行
2013年04月07日 16:43
そのうち誰かの目に止まることを期待して、録音テープによる修学旅行の回想を続けます。
修学旅行2日目。午前中、別府名物「地獄めぐり」。「地獄」と称する様々な温泉はそこそこ見所があったのですが、例えば幼稚な赤鬼などの造形物、観光客慣れしてピクリとも動かないワニなどの演出がお粗末で、「子供ダマシやん」と突っ込みを入れたくなったのを覚えています。
その後、バスは別府から阿蘇に向かったのです。長距離移動で時間とともに少々みんな飽きてきた様子。しかし、男子生徒は、美人バスガイドさんに対しては従順です。ガイドさん主導のチョットしたゲームにも、悪びれることなく楽しげに参加していたのを覚えています。外の景色にも飽きた頃、林君が当時の深夜放送で人気の「仁鶴、頭のマッサージ」の「新漢和辞典」というお題で場を盛り上げようと試みましたが、みんな前日深夜まで騒いで少々疲れ気味なのでノリが悪く、敢えなくこの試みは大スベリとなってしまいました。そしてまた歌三昧。曲名は、「今日の日はさようなら」、「勝利を我らに」、「小さな日記」、「港町ブルース」、「白いブランコ」、「禁じられた恋」、「風が落とした涙」、「或る日突然」、「山賊の歌」など。当時の流行曲が分かります。ガイドさんによる九州の民謡(数曲)も堪能しました。そして、阿蘇に着く頃には雨が降り出したと記憶しています。

 録音テープを電子化してYuotubeに公開しています。もとの電子ファイルをご希望の方は、コメント欄にその旨をお知らせ下さい。なお、No2のファイルについては「第三者のコンテンツと一致しました。」という著作権侵害の警告がでたため、問題ないとは思いますが念のため該当部分を削除して再度アップしました。
テープNo.2E http://youtu.be/8O7NrO5xzRM
(録音テープはNo.7まであります)
Re: 昭和46年卒(S27年4月-S28年3月生)の修学旅行
【返信元】 昭和46年卒(S27年4月-S28年3月生)の修学旅行
2013年04月06日 14:52
修学旅行の録音テープの内容の紹介。修学旅行1日目。
テープNo.1によると、朝早くバスで神戸港に向かいました。神戸港からは、別府港までの長い船旅でした。船は、今も就航しているサンフラワー号だったと記憶しています。船の中では、みんなで当時流行のフォークソング等を歌って盛り上がっていました。歌った曲は、「イムジン河」、「今はもう誰も」、「世界は二人のために」、「主婦(かあちゃん)のブルース」などで、大沢君のギター伴奏で合唱しました。今では曲名が思い出せないものがいくつかありました。「主婦のブルース」は、文化祭での演目の寸劇の主題歌として選んだ曲と記憶しています。この曲を合唱している途中で、その寸劇の再現と思われる場面が録音テープから聞き取れます。「朝は旅路、昼は小金治、テレビは私の生きがいよ」の歌詞に続き、「では先生どうぞ」と促されて、「浪越徳治郎」役の是金君が、「はいっ~、指圧の心は母ごころ、押せば命の泉湧く、わっはっは~。」、みんなで大盛り上がりでした。アラ還世代には説明は不要でしょうが、このフレーズは、当時のお昼のワイドショーの走りである「桂小金治ショー」に出演していた指圧の大家のキャッチフレーズで、この御仁は親指がやたらデカく、大口でタラコ唇、目は細くてゲジゲジ眉をした、まさに指圧の開祖みたいな老人でした。このフレーズはまさに時代の流行語でした。
船はその日の晩に別府港に到着しました。そこではこの修学旅行に同行してくれるバスガイドさん達が出迎えてくれました。男子生徒にとってガイドさんの当たり外れは、旅行の要素としてウエイトが非常に大きく、男子は期待をもってガイドさんと対面しました。そして対面してみると、我クラス担当のガイドさんは期待を上回る美人と分かり、男子生徒のテンションが上がったのです。ガイドさんのお名前は、佐藤幸子さん(当時23歳)でした。バスが動き出してガイドさんが挨拶に立つと、男子は「おぉ~」と歓声、拍手喝采、まるで中年のオッサン集団。そして、無事、旅館に到着。つづく。
 この録音をYuotubeに公開しています。もとの電子ファイルをご希望の方は、コメント欄にその旨をお知らせ下さい。
テープNo.1 http://youtu.be/edbDe2G1a84
(録音テープはNo.7まであります)