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宇治川の鵜飼
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2013年09月26日 14:29
グリーンマップ宇治では、

宇治陵の散策や、弥陀次郎川沿ってのまち歩きとワークショップ、

宇治名木100選めぐり、季節の野鳥観察など、

さまざまなまち歩き(ミニ遠足)を行っています。



今回は、宇治川の夏の風物詩を見に行きました。



宇治の夏の風物詩といえば、花火大会と「鵜飼」。

私にとっては初の「鵜飼」です。



今回の参加者は10名ほど。



まず事前学習として、

宇治橋通商店街にある京都文教大学のサテライトキャンパスにて、

鵜飼についての講座を受講しました。









宇治川の女性鵜匠で、京都文教大学の職員でもある江崎さんから、

鵜について、鵜匠の仕事について、

そして鵜飼のこぼれ話などなどを伺いました。



鵜は、ペリカンの仲間で、

くちばしの下ののどのところに袋を持っていて、

10cmくらいの魚であれば10匹は入るそうです。



鵜飼は、鵜が持っているこの袋を利用するもので、

首をくくって、のどの袋から胃に魚が行かないようにします。



この首のくくり具合が、鵜匠の腕の見せ所だそうです。

いかに負担なく首をくくり、魚を取り出せるかがポイント。





現在、日本国内で鵜飼が行われているのは12ヶ所ですが、

昔は北海道と沖縄を除く本州・九州・四国の百ヶ所以上の地域で

行われていたそうです。

「鵜飼」の地名が残っていたりもします。



鵜飼にもいくつか種類があって、

日本でもっとも一般的なのは、鵜匠が舟に乗り船の上で鵜を操る「舟鵜飼」ですが、

舟を用いずに川の中を歩きながら鵜飼をする「徒歩(かち)鵜飼」

(山梨県笛吹市、和歌山県有田市)や、

鵜に綱をつけずに放ち、魚を捕った鵜が自分で舟に戻ってくる「放ち鵜飼」

(日本では衰退、中国の桂林)

などもあるそうです。



現在各地で利用されている鵜の多くは、ウミウで、

そのほとんどは、茨城県の日立市の鵜の岬にある捕獲場で捕獲されたもので、

シベリアから渡ってきた鵜を専門の職人さんがとらえ、各地に「空輸」されている

そうです。





「鵜呑みにする」という言葉があるように、

鵜は、魚を丸呑みにして、胃袋で消化してしまいます。

魚は、丸呑みにされた瞬間に死んでしまうとのこと。

このため、魚は暴れて身を傷つけることがなく、

身に傷のない、より美しい鮎を求める平安時代の貴族に重宝され、庇護を受けていた

そうです。

なので、鵜飼と言えば鮎、というイメージが生まれた。



ただ、鵜は鮎だけを捕るわけではなく、どんな魚も捕ります。

「鵜の目、鷹の目」と言われるように鵜はとても視力が良く、

水中でも、瞬膜という透明の膜が水中めがねのような役割を果たし、魚を見つけ出します。



もちろん昼間は、さすがの鵜でも、水中の魚にはかなわないので、

夜寝ている魚を舟をたたいて起こして、驚いて明るいところにやってきた魚を捕るわけです。

ですから、鵜飼は夜。





吉野川を遡っていた神武天皇が、筌で魚を捕っている人に出会い、

名を尋ねたら阿陀(奈良県五条市阿田)で鵜飼を職業にしている人たちの先祖である」と説く、

という説話が『古事記』にある。

このことから日本の鵜飼の歴史は古く、神話にも登場し、その起源はさらに遡るものと

言われています。



宇治川の鵜飼は、藤原道綱の母による『蜻蛉日記』の中に、

川岸か鵜飼を鑑賞し、鵜舟が川を上下しながら了をする姿を詠んだ和歌があることから、

遅くとも平安時代には宇治川で鵜飼が行われていたとされています。



その後、平安貴族の没落ととともにその庇護を失い、

さらに、鎌倉時代に「殺生禁断の教え」が広まったことで、

宇治川の鵜飼も禁止されてしまった。

このとき、鵜飼などに使っていた道具を埋めて、

今までとってきた魚の霊を慰めるために立てられたのが「十三重の石塔」なのだそうです。









これにより宇治川の鵜飼は鎌倉時代に途絶えてしまいました。



大正時代に入って、

宇治の夜の観光を考えていた宇治川周辺の旅館や土産物屋が鵜飼の再興をはかり、

岐阜県関市の小瀬の鵜賞を宇治に招き、手ほどきを受け、観光鵜飼として再出発。

現在の鵜飼は、この大正時代のものを引き継いでいるそうです(戦時中一時中断)。





こうした事前学習で、鵜飼の知識を頭にたっぷり詰め込んで、

いざ宇治川へ。



途中、宇治橋通り商店街で鵜飼を見ながら食べるお弁当を調達。



貸し切り船に一旦お弁当をおいて、

宇治川中州の塔の島にある小屋にいる鵜たちにご挨拶に。

今日はお休みの鵜への餌やりを見せてもらい、実際にチャレンジ。

なかなか鋭いくちばしで、ちょっと尻込み。



  





辺りも少し暗くなって、いよいよ鵜飼の時間。

舟に乗り込み、まずは腹ごしらえ。

宇治川を下りながら、明かりの灯った両岸を眺め、お弁当に舌鼓。



  



この日は、三連休の初日ということもあり、大賑わい。

貸し切り、乗り合い含めて、十隻ほどが川に並び、鵜飼が始まるのを待つ。



いよいよ鵜飼がスタート。

鵜匠の衣装を身にまとった江崎さんが鵜舟の上に。

先ほどとはまるで別人のよう、かっこいい。



鵜や鵜飼についての説明の後、

2列に並んだ舟の間で、鵜飼が催される。

鵜が魚を捕ってくるたびに、舟からは歓声が上がっていました。



 



 



 





カメラと写真の腕に限界があり、

鵜飼の良さをきちんと伝えられないのが残念ですが、

間近で見る鵜飼は、この写真の数倍迫力があって、趣があって、美しいです。

ぜひ、体験を。



楽しかった夏の夜のひとときもあっという間に過ぎ、下船。

その日は、その場で解散となりました。





平安時代の姿を今に伝える宇治の鵜飼。

平安貴族もこんな風に過ごしたのかななどと思いをはせながら、

夏の夜のひとときを過ごすのも良いものです。



参加者の一人がこんなことを言っていました。

「1年に1回鵜飼を見ないとなんか気持ち悪い」って。



せっかく宇治に、宇治の近くに住んでいるのなら、

こうありたいな、なんて思いました。





******************






グリーンマップ宇治ではこれからもさまざまなイベントを企画していく予定です。

知っているようであまり知らない宇治の街角へ、新たな発見を探しに行きませんか。



お問い合わせは、京都文教大学フィールドリサーチオフィス(0774-25-2630)まで。



ぶんきょうサテキャン宇治橋通りのイベントカレンダーや

ぶんきょうサテキャン情報「Spiral Up」でもチェックしてみてください。









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