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2014年06月05日 21:49
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京阪観月橋駅の北側、国道24号線の高架下に小さな石庭のようなものがあります。脇に「城外之庭」と題する木札が立てられ、「伏見城石垣の基礎部分の石」「慶長の大地震で倒壊した城から残りし石」と書かれています。
豊臣秀吉は桃山丘陵(木幡山)にいわゆる伏見城を築く前に、指月の岡と呼ばれた宇治川北岸の丘陵上に指月城を建設しました。現在の桃山町泰長老のほぼ全域で、北端がJR桃山駅、南西端が京阪観月橋駅あたりになります。文禄5(=慶長元・1596)年に城は完成しましたが、その直後に起こった慶長大地震で倒壊し、多数の死者を出す大惨事となりました。その後、城は木幡山に再建され、慶長2(1597)年に完成しました。翌年、秀吉は木幡山の伏見城で没しました。 (参考: 京都市埋蔵文化財研究所リーフレット№261) なお、木幡山の伏見城の本丸があった場所は、現在の明治天皇伏見桃山陵あたり。昭和39年に建てられた模擬天守とは異なります。 余談ですが、観月橋は秀吉の命により大友豊後守義統が工事を請け負って完成した豊後橋が前身です。橋が完成したとき秀吉が月見の宴を開いたのが今の指月山月橋院。明治になって、秀吉の月見に因んで豊後橋が観月橋と改められたそうです。 ■2015年6月18日追記:上記「城外の庭」にほど近い場所で、南北に伸びる36mの石垣が発見され、指月城の遺構であることが確認されました。→ ニュース映像 ■現地説明会の様子→ 動画(約7分) |
書き込み数は3件です。 | ◀▶ |
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Re: 指月城跡
【返信元】 指月城跡
2014年06月07日 23:23
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URL変えました。直リンクできないようです。
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Re: 指月城跡
【返信元】 指月城跡
2014年06月06日 20:31
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宇治のキリギリスさん
萩の指月城は関ヶ原以後の築城なので、伏見の方が先です。 一説には、指月イコール四月で、4つの月(空の月、川の月、池の月、盃の月)を一度に眺められる名所という意味だとか。 秀吉の後、家康が伏見城に入ると、指月城の跡地は武家屋敷町として整備されました。現在の町名になっている泰長老(たいちょうろう・西笑承兌[さいしょうじょうたい])は家康の顧問だった伏見出身の僧で、このあたりに屋敷を構えたそうです。上杉家との交渉の際、直江兼続が承兌に送った書状(通称「直江状」)が、家康に関ヶ原開戦を決意させたという説もあるようです。 |
Re: 指月城跡
【返信元】 指月城跡
2014年06月06日 18:25
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表題をみて、えっ!!山口県レポート、と思ったのですが、伏見に指月城があったんですねー。毛利藩が長州に押し込められて、明治維新まで居城だったのが萩の指月城です。いまは城郭もなく、桜の名所ですが。
文中の伏見城や淀城、それに大阪城秀吉の時とは別の遺構が現在の残っていて、違うイメージを持たされるの残念なようなあるだけでも良かったような。信長の本能寺もそうですが、そういう遺構が全くなかったら風化してしまうかもしれませんもんね。 (前欄のURL見られなかったのですが) |
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