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Re: 阪神・淡路大震災
【返信元】 阪神・淡路大震災
2018年03月11日 22:45
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大阪・都島のマンションに住んでいた長男が豊中に引っ越すために家財道具を荷造りしたところで、孫たちを預かっていました。
明け方に今にも家が倒れてしまうような大きな揺れに見舞われ、家内は孫の上に覆いかぶさって擁護、幸い大きな被災もなく過ぎました。 長男の方も食器棚や本箱などは荷造りしてすべて空の状態だったので何事もなく過ぎました。 しかしながら、転宅予定のマンションが新築引渡し前で震災による被災の調査、補修などから入居が延期となり、住んでいるマンションの引き渡しとのずれに困りました。 数日後に新居のマンションの確認に豊中まで行きましたが、5階から見る豊中の景色はほとんどの屋根の色がブルーのシートに覆われていました。 |
Re: 阪神・淡路大震災
【返信元】 阪神・淡路大震災
2018年03月11日 20:41
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今ケアハウスにいる87歳の母は、あの日あのとき、豊中の団地に一人住まいしていました。
京都の揺れにビックリはしましたが、 まさか大阪では・・・と思いすぐには電話しませんでした。 そのあとのニュースで、ことの重大さに気づき、電話をしましたが、まったく繋がらず、母の声を聞くまでにとても時間がかかりました。 母は団地のせまい部屋の中、背の高いタンスとベッドの間の空間に助けられ、怪我もなく元気でした。 ただ、部屋の中は散乱し手がつけられない状態らしく、すぐに行くことにしました。 当時は、車で駆けつけてはいけないなどという考えも一切なく、いろいろな物を車に積み出発。 道中、近くの店でペットボトルの水を買おうとしましたが、ほとんどなかったことを覚えています。 宇治から豊中母宅まで高速を使い1時間、下を走っても1時間半で通常行けるところ、数時間かかりました。 豊中に近づくごとに、家屋の被害に事の重大さを更に感じました。 母の住む団地棟も外壁ひび割れがひどく、断水で給水車がとまっていました。 まだ当時は母も元気で家の片付けもほとんど自分でやっていました。 今の母ならどうなっていたかと思います。 豊中はまだまだ被害は少なかったですが、神戸の親戚の家は大変なことになっていました。 |
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