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Re: 平重衡の供養塔
【返信元】 平重衡の供養塔
2021年09月01日 08:26
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重衡の妻の藤原輔子(安徳天皇の乳母をつとめ、大納言佐と称した)は壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した時、他の女たちと入水するが助け上げられ捕虜となった。
後に山城国日野(京都市伏見区)に住む姉の居所に隠棲したという。 重衡が奈良に送られ、日野の近くに差しかかった時に対面が出来たという。 そして、重衡の遺骸を引取り、日野の地に墓を建てたという。 その後、出家して重衡の菩提を弔い、大原寂光院の建礼門院(平徳子)に仕えたとあります。 謡曲「大原御幸」の大納言局が重衡につながったことは、私にとって新たな発見でした。 夫々の人物像を知ることで歴史のひとこまに広がりが出来、興味が深まりました。 (写真) 京都伏見区日野の墓(醍醐外山街道町:今は団地の中の公園にある) |
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