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山城・今日この頃 記事アップ用の「奈良街道の泉大橋はどこにあったか?」
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奈良街道の泉大橋はどこにあったか?
【閲覧数】688
2019年03月02日 09:20
奈良時代の木津川(かっては泉河と呼ばれていた)に架かる橋はどこにあったのかと興味があり、泉大橋を守護・管理するために建立されたという泉橋寺に行ってきました。

お寺と橋は740年頃に造られたようですが、目の前にあるお地蔵さんは満身創痍の様相。
鎌倉時代(1308年頃)に造られたそうですが、応仁の乱などの戦火にあい地蔵堂も焼かれ現在のような露座となり、江戸時代に復元されたとか。

当時の泉大橋は、「山城町史」によれば、条理区画に則った計画道路があり泉橋寺の際を通る道が奈良街道で、その線上にあったと理解出来ました。
山城町史にあった地割図を参考に掲載します。

また泉橋寺近くの街道は「上狛茶問屋街」と呼ばれ、幕末の神戸港開港による木津川の水運利用によって、お茶生産の発展があったとのことです。
現在は問屋さんの数も少なくなったとのことですが、「山城茶業之碑」などあり趣きを感じさせてくれます。

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