書き込み数は4件です。 | ◀▶ |
本阿弥光悦が生み出した琳派。400年を記念して各地で開催されている展覧会、今回、京都日本画協会と京都工芸美術作家協会の合同展が文化博物館で始まったので初日の昨日行きました。ちょうど会場に入った2時ごろ京都日本画協会理事長の上村淳之氏ら4人のギャラ―トークが始まりました。まず、最初上村氏「今回、琳派の展覧会開催で新作を出品してほしいそして、その想いを原稿用紙1枚の宿題をだしだんですぅ、琳派は普通たらし込みや空間の美と言いますねぇ、それを自分の作品に結び付けるのは自身独断と偏見で書きました」。他の3人も「先生との付き合いは芸大から … [続きを読む] |
東天王町の住友が経営している泉屋博古館に行きました。午後の1時前、京阪三条から「5」に乗りましたが晴天のドル箱路線は外人も含め満員、初老のご婦人の流暢な英語の「ハンディの男性がおられます」で座ることができました。1897年、住友家15代当主春翆が外国訪問の際、モネの『モルソー公園』等2点を購入したのをきっかけで収集を始め、洋画家の鹿の子木孟郎の支援など住友グループの美術で利益の社会還元である・・とパネルにありました。それにしても、ミレー、モネ、ルオーシャガール、ミロなどすべてが住友グループの所蔵でヴィニオンの作品は日本で恐らく … [続きを読む] |
国立博物館に行きました。今から400年前、関ヶ原夏の陣で豊臣から徳川へ天下が移ろうとしていた頃、永徳の死で絵師の世界も転換期を迎えました。初めに、これは平成19年『狩野永徳展』の続きの展覧会でもありますとパネルにありました。権力者の御用絵師であった狩野派、ライバルの長谷川等伯の進出で大ピンチになります。最初に、長男光信の『松図襖』を見ましたが永徳の作品から飛び出してくる書き方より少し画風が異なるように思いました。特に、3歳で早世した秀吉の長男鶴松の甲冑に描かれた鶴と松、印象に残りました。弟子の山楽、永徳の弟、宗秀、内膳、二男の … [続きを読む] |
天気予報が、見事に外れ晴天になった昨日、塔の島へ花見に行きました。満開の桜を愛でながら出店を眺めていると、何人かのお茶っとさんが、「よく、お出かけされますねぇ」。等々、気持ちよく大きく伸びをしたい気分で「お祭り広場」に、今年もうさぎょんさん司会の「フォーク大会」が・・「うさぎさぁん」。手を振り、いつもの笑顔をくれました。まもなく、午後1時、中入りで2時間の休憩なので久し振り宇治神社に行って観ました。賽銭箱に10円玉を入れようとすると「宇治神社と見返り兎」の解説が・・仕事をしている時何度も来ましたが初めて発見しました。遠い昔、河 … [続きを読む] |
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