日記を読ませていただき、倉敷の院展に行って来ました。
絵は余り解らないのですが、美しさに感動しました。情報有難うございます。
『朝日』の夕刊によると初日の市美術館開場前に200人以上も列を作ったという会場に昼食後、行ってきました。幸い、人も落ち着きスムースに入場できました。入ると、晩年仕事をした、スイスのアトリエが再現されていました。そして、今回イヤホンガイド補助をされる節子夫人が「当時女子大生であった私が初めて会った京都で、没後初の回顧展はこの上もない喜び、主人は心に『鏡』を持って作品を見なさいとよく申しました」。私は心して聴きました。パリで1908年生まれた彼、ボナール、ピエールなどと交流し、初期の章では11 歳で描いた猫の40枚の絵、彼の才能を暗示する作品、独学をスタートさせます。やがて、『嵐が丘』の挿絵を・・・彼は当時婚約している女性を愛してしまい、その感情を主人公に投影し作品にぶつけたとか。随筆家の楠昇先生が「恋愛中の人間の作文は面白くないが片思いの方がいい作品として残る」と言われたことを思いだしました。2章以降、日本初公開の『夢見るテレーズ』等の女の子は彼の無限の可能性を持った女性観を見たように思いました。自ら猫の化身といい、日本の風土を愛した彼の回顧展、一見の価値ありです。9月7日までです。昨日の歩数8921歩 |