映画が公開され 何かと話題の関ヶ原。定説となっている戦いの内容や武将たちの名場面は今、一次史料の研究により、次々と覆されている…。 今回取り上げる諸説は次の3つ。 ① 問鉄砲は作り話!#小早川秀秋 は裏切り者ではなかった ② 主戦場は関ヶ原ではなく、戦いはわずか2時間で終った ③ 西軍の首謀者は石田三成ではなかった!本当の首謀者は… (番組 宣伝文より) 昨夜の番組では、この三つの観点からの分析でした。成る程!と思ったのは、史実を分析するのには、「一次資料」(直前直後に書かれたもの)こそ、真実を語るということです。後になればなるほど、権力者に有利な創作が加わってしまう。この関ヶ原の戦いは、400年の間に事実とは、かけ離れた創作が成されてきたとして 一次資料(証拠)をもとに その分析が成されていきました。その内容に、私は、腰が抜けそうになりました。あまりにも定説とは違っていたから。 ① 小早川は、裏切り者でない。最初から東軍だった。問鉄砲は、家康の存在感を示すためのフィクションだった。→ 一次資料に問鉄砲の記載が全くないことから。 ② 主戦場は、関ヶ原ではない。関ヶ原の西側にある「山中」(やまなか)というところ。 10:00am~12:00の2時間で終わった。→ 家康から伊達政宗への手紙に「美濃国 「山中」で戦った」との記述あり。毛利輝元の手紙にも「山中」が出てくる。古戦場とされる関ヶ原の発掘調査からは、戦いの証拠となる遺物は、何も出てこない。でも山中からは、鉄砲の弾が出ている。 ③ 石田三成は、首謀者ではなかった。→公家の日記にも「三成」は、認識されてなかった。首謀者は、長束正家・増田長盛・前田玄以の三奉行でないか。三成は、有望だったので あとでまつりあげられたのではないか。(死人に口無し)三成と家康の仲は、むしろ良好だった。(三成の息子は、家康の家臣になる。三成は、家康に秀吉の死を知らせていた。) ※「英雄たちの選択」では、増田長盛は、家康と内通していたといわれていましたが・・?? 特に③の意見には、驚きました。実は、以前から不思議に思っていたことがあって このことが その答えになりました。それは、三成が加藤清正・福島正則たちに殺されかけて逃げ込んだのが家康の屋敷だったことです。なんで敵方に逃げ込むのかとずっと不思議に思っていました。関係は良好だったからなのですね。 こういう番組を観てしまうと あの映画が ますます色褪せてしまいます。でもあの合戦シーンは、狭い「山中」が戦場なら むしろ真実に近いのではと思いました。 この番組の3ポイントは、果たして真実なのかどうか これから明らかにされていくでしょう。注目していたいです。 |