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2019年03月13日(水) 

 

 

>わたしの会社には、とことんみんなために、集団として勝つために、みんなの闘争心に火をつける言葉を社内ネットに発信し続けてくださっている女性がおられます。

 

それは、ありがたいことですね。

 

>その方の言葉を紹介します☆ >勝つために本気だから、「みんなの力が必要!」「今すぐに、みんなが意識を一段高く持ったら、成果度があがる!」と、みんなに本当に期待しているからこそ、深い肯定感が感じられる。 >厳しく、そしてあたたかく、腹の底から力が湧いてくる投稿です!

 

それは、珍しい投稿ですね。

 

>+++++++++++++++++++++++++++++++

>いまや、「傍観者」は仲間に対する「裏切り者」と同義語です。

 

自分の意思を表明すれば、当事者・関係者になる。意思を表明しなければ、傍観者にとどまる。日本人には、意思がない。だから、容易に手が下せない。それで、傍観者にとどまる。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には、意思 (will) がない。仕方が無いので、日本人は無為無策でいる。座して死を待つか、裏切りとなるか。

意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語脳には未来時制がなく、日本人には意思の表明がない。意思の内容は、想定外になっている。だから、孤高の人になる。

 

>「何もしない」ことが、どれほど周りと自分の可能性に蓋をし、活力を下げているか。>変わるなら、今がチャンスです。

 

日本人には意思がないのですから、優柔不断・意志薄弱の特徴は容易には変えられませんね。

 

>いま発信すれば、必ず仲間が受け止めて、みんなの課題へと昇華させてくれます。>「悩み思考」には出口はない。

 

日本人には意思はないが、恣意がある。恣意による悩みは内容がどろどろとしていて、解決が難しい。腹芸になる。

 

>ただ頭の中だけでぐるぐるしているだけ、エネルギーの無駄遣い。

 

そうですね。恣意 (私意・我儘・身勝手) は、バラバラな単語 (小言・片言・独り言) で存在する。文章にならないから、意味も無い。だから、その解決が難しい。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

>どうせエネルギーを使うなら、「どうする?」と試行錯誤するほうが、よっぽど楽チン。

 

それで軽挙妄動にはならないでしょうか。

 

>しかも、「みんなの役に立つ」ことが出来る。 >答えも見える。 >活力も上がる。

 

本当に良いことづくめですね。

 

>…おトクなことしかないのに、なんで発信できないか? 

 

肝心なその意思がない。

 

>決心つかないなら、書き出してみたらいい。 >「発信してみたらどうなる?」VS「発信しなければどうなる?」 

 

恣意の内容を発信すれば恥になる。発信しなければ腹の奥にしまっておくか、泣き寝入りになる。

 

>「どうする?と追求を始めたらどうなる?」VS「どうしよう?と悩み続けたらどうなる?」

 

それは、軽挙妄動に出るか、座して死を待つか になりますね。

 

>しっかり、現実と自分の心の中を見つめて、どちらが可能性があって、しかも楽になれるのか、自分で判断してみてほしい。

 

‘お前らに、俺の腹の底が読めてたまるか’ ということになるでしょうね。それで、じっとこらえる。これは、浪花節調か。

 

>ひたすら、誤魔化し先送りし続けるのではなくて。>言い訳と愚痴で人生を終えたくないなら。

 

何せ、建前 (言い訳・口実) と本音 (私意・我儘・身勝手) が闊歩する世の中ですからね。筋の通った話は、難しい。

 

>都合の悪い現実に蓋をしてごまかし続けても、よくなる可能性なんて、どこにもないんだから。

 

そうですね。でも、恣意は粉砕したいところですが、その意思もないのですからそれもできないのです。

 

>いま、深く心の中をのぞいて、そして決断してほしい。

 

恣意による決断は、危険ですね。結果に対する説明責任が取れない。 この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。

 

>相手に期待するということは、相手のことを本当に考え思いやるということ。 >つまり、毎日が充足で満たされるということ。 >充足したいなら、期待することに、蓋をしないこと。 >それだけ。

 

‘他力本願・神頼み’ ですね。

 

>こんなにも、守られている。 >そして、期待され続けている。 >「傍観者」をやめれば、きっと、気づけます。

 

分かっちいるけど、やめられない。これは、言語の問題に関係があると思いますよ。それを無視してごり押ししても、埒があかないと思いますね。これでは、建設的な提言にはなりませんかね。

 

> +++++++++++++++++++++++++++++++ 

 

 

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閲覧数510 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/03/13 23:49
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