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2019年07月11日(木) 

 

 

>>美しい言葉 >けれども > この美しい言葉を羅列する(時に発する)という事の裏には >大きな罠が潜んでいると思う > その罠とは >「言葉で解決できてしまう」 >という事

 

そういうことになりますかね。それは、日本語の罠ですね。

現実の内容は、頭の外にある。これは、見ることができる。見ればわかる。だから、考えることはない。楽ちんである。無哲学・能天気でも差し支えない。

非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。これは、見ることができない。ただの話である。その話の内容がわかる為には、その文章を理解しなくてはならない。だから、聞き手は考えなくてはならない。これは、しんどい事である。だから、大抵の日本人は、考えることをしないで、忖度 (推察) を使って、その場を切り抜けている。しかし、理解と忖度は、似て非なるものである。理解は、話者に属している内容である。忖度は、聞き手に属する内容である。だから、日本人の聴衆は、話者を無視することになり、現実直視ができていない。だから、話者と聞き手の議論も成り立たない。理解の内容と忖度の内容の間に矛盾の存在することを指摘すると、忖度の人は、’だって私は、本当にそう思ったのだから仕方がないではないか’ と抗弁する。あくまでも、現実直視を拒否する立場をとる。日本人の頑迷さは、ここにある。

 

>>抽象的な言葉は > その場で満足するだけという > エゴで終わる事が多く >時に何も生まない

 

日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だが、英文法にはある。

文法に時制があると、非現実・考えの内容を文章に組み立てることが可能になる。英語脳には、それぞれに独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) ができている。

三世界の内容は、はじめは白紙であるために、それぞれがその内容を自分自身で埋めることになる。各世界の内容は、何処までも展開可能である。これが、世界観である。あるべき姿の内容は、未来時制の文章内容になっている。これを基にして現実の内容を批判すれば、その人は批判精神を示したことになる。英米人にはではても、日本人にはできない真似である。

 

>(「美しい花にはトゲがあるように、美しい言葉には罠がある」msg: 264444)> 非常に鋭い視点だと思いました。

 

そうですね。日本人が考えもなく英米人の真似をすると、怪我をします。

 

> 「尊厳」「その人らしさ」「優しさ」「心に寄り添う」・・・とても耳障りが良く、誰もが疑問の余地なく受け入れてしまう・・・抽象的な言葉達。> 似た性質のものに「自由」「平等」「愛」「平和」「人権」「民主」「社会変革」といった言葉群(近代思想)がありますが、これらには共通点があります。

 

いわゆる‘きれいごと’ ですね。

 

> 一つは“現実を否定or捨象”した上でそのアンチとして「そうなったらいいなぁ」「そうあるべき!」と理想を語ったにすぎない「架空観念」である点。> (抑圧されてるから「自由」を!、戦争がなくならないから「平和」を唱えよう!、社会がガタガタだから「社会変革」が必要!)

 

カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。

、、、、、日本の社会でいう “現実” (リアリティ) とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき “リアリィティ” だからである。そしていうまでもなく、望ましいと想定されるイメージは、そのときその人の属するグループの利益と一致することが多い。 、、、、、 

西洋では、現実はそうやすやすと管理されたり、意のままに作り変えられたり、相談で決められたりするものとは、考えられていない。つまり、こうあるべきだという任意の考えによって左右されるものとは考えられていない。事実、西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。ギリシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫いてつねに強調されてきた戒めが一つあるとすれば、それは、「矛盾を育むなかれ」ということである。この戒めは、論理、数学、科学の根本法則である。(引用終り)

 

>また、はじめから「良いもの」として価値が固定された「価値観念」であること。>そして、なんとなく心や体に響いてくる「感応観念」であること。> (参考:「思考次元2 否定意識の倒錯思考」19060) >だから誰もがその引力に逆らえず、なんとなく胡散臭いと感じたとしても、「そうだよね」と納得させられてしまいます・・・が、そこに危険な罠が潜んでいます。

 

日本人は、文章の理解が疎かで矛盾を排除できないでいる。これが、自分自身がこしらえる危険な罠である。

 

> 恐ろしいことに、これらの言葉の持つ心地よい響きにだまされ、「尊厳」「その人らしさ」「自由」「平和」「愛」・・・といった言葉の本質や、どうしたら実現できるか?を追求する思考を瞬時に断たれ、思考停止してしまうのです。

 

そうですね。日本語には、現実があって、非現実 (考え) がない。ただ、現実の内容を容れる構文だけがある。この現実用の構文に、非現実の言葉を入れると、途端に日本語の現実描写の機能は失われます。だから、日本人は、思考停止になります。

 

> (例えば、誰もが無制限に「自由」を求めた結果が、「平等」とはかけ離れた格差社会であること。

 

無制限な自由は、意思の自由ではなくて、恣意 (私意・我儘・身勝手) の自由ですね。’自由のはき違え’ ですね。

 

>また、戦争を本気で無くそうと思えば、歴史を遡って戦争の起源や、戦争を起こしているのは誰か?などの事実を具体的に追求する必要があるが、「平和」に囚われた瞬間に思考停止してしまう。)

 

非現実を語れば、現実が抜け落ちる。日本語によるマジックですね。

 

>あるいは、そもそも目の前の現実を否定・捨象しているわけですから、現実の本当の姿や「外圧」を正確に捉えることができるわけがありません。

 

現実は現実。非現実 (考え) は非現実ですね。日本語の脳は、現実の為の脳でしょう。

 

>従って、何も実現できないし、活力(内圧)も沸いてこない。

 

そうですね。日本語による罠ですね。

 

(略)

 

 

.

 

 

 

 

 

 


閲覧数21 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/07/11 02:11
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