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2019年09月01日(日) 

 

 

>大学経営に乗り出した日本電産会長永守氏が、2019年春の入学式で新入生に向けた激励文を紹介したい。 > (参照:NEWSPICKS)MAGAZIN)

> 今の大学は、役に立たない人間ばかり出している

 

それは、言い過ぎではありませんか。大学は、職業学校ではないのですから、職業人として役立たないこともありますね。

 

> どんな一流の卒業生であろうが、二流卒であろうが、三流大卒であろうが入社しても全然役に立たなかった。> 期待する人材が全く出てこない。

 

それは、そうでしょうね。期待する人材は、頭の中にある。現実は、頭の外にある。両者は所在が違うから、内容も同じにはならない。

 

> 今の大学は、社会にとって「役立たずの人間」ばかり出しているという強い怒りを持っていた。

 

‘木に縁りて魚を求む’ が如しですか。

 

 >なので自分で大学を作った。

 

まず、‘隗より始めよ’ ですか。

 

> 今の大学は、偏差値とブランド主義に固まってしまった。

 

そうですね。わが国は、序列主義の国ですからね。世俗的な序列順位を基準にとって眺めるより他に仕方がないですね。

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。’上とみるか・下と見るか’ の世俗的な上下判断なくしては、日常会話も満足には話せない状況にあります。

そのうえ、日本人の礼儀作法は序列作法になっているので、世俗的な上下判断なくしては礼儀正しい日本人になることもできません。人を見損なってはいけないという想いが強迫観念の域にまで達していて、肩の凝る生活を強いられています。

 

>幼いころから塾に通い、家庭教師を付けて「何はともあれ偏差値の高いところに行きたい」「ブランドがある、誰もが知っている大学に行きたい」そういう時代はすでに終わり、実力社会になってきている。

 

そうですね。’塾・家庭教師・偏差値・大学’ は、単なる処世術に過ぎないですからね。人生の目的は、我々個人の哲学の中にある。各人に哲学が必要である。Everyone needs a philosophy.

 

> 多くの起業家は今の大学教育に大変失望している。

 

そうでしょうね。それは、大学が職業学校でないからでしょう。

 

>我々起業家は、世の中に必要なものを研究、開発し「売れるもの」しか作らない。 > 変なものを作っても、誰も買ってくれない。

 

そうですね。起業家は、大衆への迎合は欠かせませんね。

 

> 偏差値の高い大学、有名なブランド大学を出た人が社会でトップに立っているならば、大学教育には関与しなかった。> 偏差値と仕事ができるかどうかはまったく関係ない。

 

そうですね。偏差値とブランド大学は、日本人が人間序列を為の単なる道具立てに過ぎないものですからね。

 

> 偏差値、ブランド主義、クソくらえ   > この大学は、ノーベル賞を受賞する大学ではない。

 

そうですか。ぜひ、無哲学・能天気にならない人間を卒業させてらいたいものですね。

 

> 「偏差値ランキング」で京都大学を抜くことは出来ないが、「世界の大学ランキング」では抜く可能性がある

 

国際的に評価される大学にしていただきたいですね。

 

>京都大学の総長には「大ボラもええとこやないか」と言われるが、じゃあ、46年前に自宅で3人で作った会社が、なぜ今世界一になっているんですかと。>それも中途半端な商材ではなく、世界の大企業と戦って、勝ってきた >今や、日本電産は日立やパナソニックより企業価値は上。 

 

それは、あなたの商才が抜群であったからですね。

 

>だから、明るい未来を見て欲しい。

 

それは、‘上とみるか・下と見るか’ の判断に基づく結果ですね。

 

>過去の暗い高校時代とかは全部、忘れろ。

 

序列社会においては、序列順位が心の明暗を分けますからね。非建設的な序列競争を廃止すべきですね。

 

> 明るい未来を見て、お互いに力を合わせて成功に自分の人生を導こうじゃないか、というふうに考えて欲しい。 

 

そうですね。成功は、既成の序列判断によりもたらされるものではないですね。

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。非現実 (考え) の内容は、時制のある文章内容により表現される。時制のある文章は、それぞれに独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) を表すことができる。初めのうちは、どの世界も白紙の状態にあるが、その白紙状態は誰にとっても気になるところである。そこで、各人はその内容を少しずつ埋めて行く。これが各人の世界感と呼ばれるものである。その内容は、何処までも展開が可能である。自己の世界観を基準にとって現実の内容を批判すれば、その人は批判精神を表したことになる。現実を改革する内容を提案したことになる。

英語には、時制があって、英米人には、世界観がある。世界観を基準にして批判精神を示す。かくして、現実改革の足掛かりを得る。日本語には、時制がなく、日本人には、世界観がない。そして、批判精神がないから、時流に流されている。空気に酔う。信頼されない。‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)

我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、時制の大切さを十分に深く理解しなくてはならない。さすれば、日本語を話す時にも日本語特有の閉塞感を味わうことなく、自己の意思と世界観を示すことが可能になります。国際的に協力者を得て未来社会の建設に貢献することが可能になり、人類の進歩に大きく貢献できます。

 

 

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閲覧数10 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/09/01 23:14
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