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2019年11月21日(木) 

 

 

>325463 決断力 その①  >濱田健 ( 会社員 )  17/04/02 PM05 【印刷用へ】 >リンク

>最近、引きこもりやニート、フリーターといった、社会に出られない若者が増えている。 >また、いつまでも結婚できない若者達も増えている。 >この原因は、決断力の不足にあることが考えられる。

 

中には結婚する意思のない人もいるでしょうね。

 

> 大体、決断力というのは、訓練しなくとも身に付くと思っている人が多い。>しかし、決断力は、訓練しないと身に付かない。

 

日本人には、決断が難しいですね。意思のあるところに方法 (仕方) がある。ところが、日本人には意思 (will) がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語脳の中には未来時制は無く、日本人には意思がない。仕方がないから、無為無策でいる。それが、優柔不断・意志薄弱に見える。

 

>そして、今日の学校教育で、最も欠けているのが、この決断力の訓練である。

 

それで、日本人は精神修養に励むことになるのでしょう。

 

>  決断は、決して断じることである。 一瞬にできる。 >瞬時のことである。 >だから、閃きのようなものである。 >故に、決断は、感情が触発するのである。

 

 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)

 

>気合いである。>決断は、抜刀する気合いでするのである。

 

日本人の精神修養は武芸を通して行われていますね。

 

>  決断力というのは、ある程度早い時期から養成しなければ、磨かれない。>一日や二日で身に付くような能力ではないのである。

 

Practice makes perfect. (習うより慣れろ) ですね。

 

>  判断は、他人の意見を聞いて、決断は、自分の意志で行うものである。

 

決断には、必ずしも他人の意見は必要ないでしょうけどね。

 

>その為には、自己が確立されていなければならない。>善悪の判断ができない者、つまりは、善悪の価値基準のない者は、決断できない。

 

自己に世界観があると判断しやすいですね。

 

>確かに、道徳心のない者でも、一見行動的に見える者もいる。 >しかし、その行動の源は、決断ではなく、衝動である。 >衝動による行動と、決断による行動とは、本質が違う。

 

そうですね。恣意決定と意思決定の違いによるものですね。意思は、文章内容になり意味がある。恣意 (私意・我儘・身勝手) はバラバラな単語 (片言・小言・独り言) のままで存在し、文章にならない。だから、意味をなさない。

 

>何よりも、衝動的な行動は、自己を制御・抑制することができない。

 

そうですね。衝動的な行動は、恣意決定 (盲目の判断) によるものですね。

 

>  本来は、人の意見を聞いて判断をし、自分の意志で決断しなければならないのに、自己が確立されていない者は、人の意見を聞くと判断できなくなり、自分の意志で決められなくなる。>これでは、本末転倒である。

 

その通りですね。

 

>  倫理観や価値基準というのは、絶対的な基準である。

 

そうですね。あるべき姿 (things as they should be) の内容ですね。

 

>この絶対的基準という物を現代人、特に学校では、全面的に否定している。

 

日本人には、非現実の内容がありませんからね。

 

>しかし、倫理観が相対的基準では、困る。

 

それは、困りますね。

 

>状況や相手によって道徳や倫理観を変えることになる。

 

そうですね。出たとこ勝負のご都合主義ですね。

 

>だから、倫理観や価値観というのは、本来普遍的、絶対的基準であるべきなのである。

 

そうですね。あるべき姿 (things as they should be) の内容ですね。

 

>故に、かつて人々は、道徳と現実との間で苦しんだ。

 

そうですね。道徳 (非現実・考え) と現実との間で苦しみましたね。

 

>しかし、現代人の苦悩は、質が違う。>倫理観や価値観が絶対的普遍的でないが故に苦しんでいるのである。

 

現実の内容が倫理観・価値観になっているのですね。現実の内容は千変万化しますから大変ですね。

山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、絶対化について述べている。「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」と述べています。

 

>つまり、自分の人生のアィデンティティ、自己の一体性、一体感が失われたから苦しいのである。>そして、これは、現代人の決断力に決定的な打撃を与えた。>つまり、決断力を喪失させてしまったのである。>価値基準に基づかなければ、決断には成らないのである。

 

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)

 

(略)

 

 

.

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数300 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/11/21 08:19
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